前回の汐路章クイズの回答は沢島忠監督の『お島千太郎』(1965/東映)ということでいかがでしょう。
富士丸の大活躍と悲劇的な結末…。堪能させていただきました。
妖艶なテイストもオリジナリティが溢れてて、唯一無二の誰にも似ていない画風に感じます。
今後もマイペースでのご更新、頑張ってください!
支離滅裂のきわみ「りんご座」の映画クイズ正解第一号!
ご返信が遅くなって恐縮ですがブヒヒ……これで男性確定!
何のこっちゃ?いえね、謎のけっこう仮面岩健さんのこと
ですがな、的確な分析力とシンプルな文体、ぜぇったーい
知らないと思ってた、こ、この映画。天下の名歌手ひばり
お孃が主演してたってなんだって、こりゃあ女性受けする
訳ない造りだわ、おお寒む……。観りゃわかるわよ、キモ!
でもね、これで岩健さんが男性であることが半ば判明した
んで?!もうブヒブヒブヒヒ……ひょっとして「アパゼロ
ごっこ」がやれるかも。本日無節操に突然登場して下さる
ジェラール・フィリップは、朝目覚めると、ママお手製の
ポート・フリップ( ポートワインに卵黄と砂糖を加えた
冷たい飲み物 )を召し上がってたそうですが、岩健さん
クイズ正解だったから、濁酒(どぶろく)にお酢とお醤油の
飲み物はいかが?!えっ?あっこれ戦争行きたくない若者
が兵役逃れに飲んで身体こわす定番モノなんですけど……。
嘘だと思ったら佐久間良子さんの主演映画「湖の琴」観て
みて。なーんてウソウソポートフリップなんてメじゃない
くらいステキなりんごジュース作ってあげますから、また
正解してねお願い。でもホント岩様って「真のサムライ」
ね。ジェラールは「春のサムライ」って呼ばれてたらしい
(笑)ややイミフなんだけど、彼は言わずと知れたフランス
映画のピーク時を代表する美形スター。1922年12月
4日南仏アルプ・マリチームのカンヌ!生まれ。1950
年代後半までジャン・マレエと「フランス映画の、情感と
知性」を分かち合い、人気を二分していたトップスター。
気品、エレガンス、そして純粋さの形容詞と語られる人。
「演技者というものは劇中の役になりきることを本筋と
するが、一方、スターというものは、自分の方に劇中の
役を引き寄せてしまう。ジェラールは、その両方を兼ね
備えるというユニークな個性の持ち主だった」(筈見有弘)
は言い得てると思いますね。その「風の精」ジェラールは
戦後日本で開催された、最初の「フランス映画祭」のため
1953年に、ただ一度来日され、滞在中日本人から熱い
視線を注がれることになります。とりわけ若者たちの一団
が行く手に群がり、拍手したり、触れようとしたり、話か
けようとしたり大騒ぎだったらしいのですが、彼のほうは
その若者たちを旺盛な好奇心で眺め、こう語っています。
「日本に行って何より心を捉えられたのは若い人たちです。
いたるところで若い人に会い、特に目についたのは子供達
で子供達はにぎやかな商店街で母親におぶってもらったり
手を引いてもらったりしてました。小中学校の生徒や学生
たちはグループや、列や、班を作って歩いていました。女
の子達が着ているのはセーラー服で、男の子達は野球帽を
かぶっていました。どの子も清潔できちんとした身だしな
みをしていました………」。勿論、芸能人達も大興奮で当時
の映画雑誌のコメントを拾ってみると、高峰秀子さんは、
「好漢という言葉があるけれど、私がコトバを作るならば
清漢と呼びたい。逢えば逢うほど、自然だし、見れば見る
ほど、優雅だし、話せば話すほど、そのデリカシイには、
ただただ、感心するばかり、逢うったってたったの五、六
回じゃないか、なんていったって頭に血ののぼっちゃって
る私には聞こえない」。池部良氏もユニークな発言、「彼
は態度がソボクである。しかし、スマートではない。彼は
地味である。しかし落ち着いた若さがある。彼はフランス
人である。しかし、日本人のような感じがする」。
舞台挨拶に歓迎レセプション、パーティー、インタビュー
の連続をこなしながら、彼は報道機関にこう述べている。
「私自身が舞台俳優であるので、歌舞伎や能に非常に興味
があります。今度の滞在期間を利用して何本か鑑賞してみ
たいと思っています」それとともに、彼は日本映画も沢山
観に行っている。日本映画に特有の大胆さや激しさのため
に日本の映画俳優たちは「一歩踏み込んだ」演技をする事
ができており、フランスでは「ばかばかしさの限界」と、
されている点が軽やかに踏み越えられていることに気づい
て彼は感心した。「こうした極限を見ることによって俳優
は芸域がひろがるのです。自分にもそれができるだろうと
思うからです。しかし境界線を踏み越えていくのは怖いも
のです。おそらく笑いを巻き起こせるだろうという、その
瞬間に、一歩先に進むのが怖くなるのです」こうした極限
に達することは、かつてジャン・ヴィラールがまさに彼に
アドバイスしていたことだった。つまり、我を忘れること
のめりこむこと。そこでは、すべてが許される!
ジェラールの心をこれほど強くとらえ、新たな無限を可能
性を彼に示した日本映画のことを、彼は生涯忘れることな
く心にかけておくことになった。のちに彼が亡くなった時
彼の保管していた資料の中に数多くのシナリオが含まれて
いるのを近親者が見つけている。その中には、たとえば、
山本薩夫監督の「真空地帯」や関川秀雄監督の「混血児」
のシナリオがあった。しかも「真空地帯」は、彼が日本
から帰国したとき、「レ・レットル・フランセーズ」の
インタビューに答えて、彼が分析をまじえてたっぷりと
語っている作品のひとつなのである。(ジェラール・ボナル
著のフィリップの伝記より)。
では、その時、ジェラール・フィリップが試写室に入り、
ものの数分間で、丁重に通訳を断り、一人でじっと鑑賞
していたという黒澤明監督の時代劇とは何だったでしょう
何の関係もありませんが、ちなみにこの作品は、りんごの
時代劇ベストテン入りしています。では正解をお待ちして
おりますね。コメントどうもありがとうございました。
という離れ技を演じてしまい、茫然自失でした。なんです
って?! どうせ、閑古鳥と阿呆鳥と借金トリしかこない
迷画座だろうって?! まぁ失礼ね!アンタなんかりんご
の魔力でハロウィーンのカボチャに変えてやるわ!キェイ
ウハウハどうよどうよ!このアホヅラ!でーも、なんだか
こっちの方が可愛いわね。ウンずっといいわ、アハハハ!
もう一生このままでいたらどう? なーんて言ってみたい
もんですわね。おっと、つい興奮しちゃったけど、館主の
都合でコロコロ変わる上映リスト!またも戦争映画に戻り
ますが、りんご生涯の戦記マンガベストワンは昭和49年
少年サンデー誌掲載の、松本零士先生畢生の短編集「戦場
まんがシリーズ」でありますが、中でも第三話「グリーン
スナイパー緑の狙撃兵」。相討ちをこそ闘争の美学の一つ
とするりんごが終生愛し続けるであろう大傑作!はたまた
第一話「鉄の墓標」で哀愁とともに語られる戦艦大和論。
「M4の装甲をブチ抜くにはもっと近よらなければだめだ!
M4の76ミリ砲は九七式の装甲などブリキのようにブチ
抜く…… みじめなもんだよ、わが軍の戦車は……飛行機は
性能ではひけをとらない……… 大和や武蔵ちゅう大戦艦は
世界一だとワシ聞いた。大和や武蔵をつくった鉄や技術を
戦車につかえば、何百台もの重戦車だってできるだろうに
われわれの小銃も全部自動小銃にとりかえられるだろうに
みろよ、戦車兵ってのはあわれだなァ……」にもかかわらず
帝国海軍の威信をかけて建造された世紀の軍艦大和の物語
が、外国人の手によって、かくも見事な戦記オペラとして
刻印されているのは、ひとえにこれが第一流の戦史である
がためと思います。それでは人類の遺産ともいうべき「戦
艦大和の運命」(ラッセル・スパー著、左近允尚敏さこんじょ
うなおとし氏の訳)をズタボロ抜粋で共有させて頂くこと
をご寛容くださいますように。
「大和はどこに行くのか? 大和は何をするのか? 大和は
なんのために出てきたのか?」
ミッチャーはぐずぐずするような気分にはなれなかった。
彼は迅速な回答を求めた。十五分も待たされたら怒り出すだ
ろう。情報担当者は集団から出たり入ったりしている。彼ら
は気象や潜在的な目標や攻撃のタイミングや、日本軍は本当
に攻撃を計画しているのかということまてる考慮に入れ、す
べてのとりうる可能行動について見積もった。彼らは息を切
らして司令部区画に戻ると中将に対し、いずれも概要を書き
上げた半ダースの選択肢を提出した。
そのとおり、日本は攻撃を計画しているように見える。敵は
第五八機動部隊の復讐の天使たちからは十分に離れているよ
う最善をつくすだろう。従って列島線の東を急速に南下する
可能性は除外できる。
「大和はおそらく列島線の西側に行くだろう」と先任の情報
士官が報告した。「おそらく沖縄を夜明けごろ攻撃するため
最後の航行は夜間になるよう務めるだろう。これは昔からの
海軍の策略であり、いい策略である」
「最もありそうなのは、大和は現在の位置から速力を変え、
できるだけすみやかにわが潜水艦の警戒網を突破しようと努
めることである。多分大和は夜明け少し前に西に走るだろう
が、それは見せかけであり偵察機に視認させるためである」
伊藤中将でさえ、彼の計画をこれよりうまくは要約できなか
ったであろう。アメリカ人たちはじっと海図を見つめている
。敵はアメリカ艦隊に、どこか別のところ………多分佐世保で
あろうか?………に向かっていると信じさせようと務めながら
できるだけ南下するだろう。それから高速力で渡具知海岸に
向かうのだ。スプルアンスからデヨーにあてて水上戦闘の準
備をせよという電報が出ている。ミッチャーは軽蔑したよう
な顔でその電報を横に投げた。彼は海図台によりかかり参謀
の目を見てどなった。
「われわれは何ができるんだ?」
続きます。
離れすぎているから、今は航空攻撃はかけられない。沖縄作
戦支援という主たる使命のため、島から遠くには行動できな
いのだ。大急ぎで解決すべき問題は、いかにして地上部隊を
放置することなく、北上して日本軍を攻撃圏内に入れるかで
ある。二つの使命を同時に遂行できるようような妥協案を作
りあげなければならない。
これは賭けになりそうだ。機動部隊は思い切ってできるだけ
北に突進し、航空機を発艦させるときはいつもそうだが針路
を変えて艦を風に立てなければならない。空母群が沖縄北東
の攻撃地点に向かうと、海図上には一連の大きなジグザグの
線が現れた。誤りを犯していいようなゆとりはない。航空機
は行動半径ぎりぎりのところで作戦することになるだろう。
パイロットは目標上空では最小限の時間しかすごしてはなら
ぬという注意を受けた。おおむね十五分ないし二十分がすご
せる時間のすべてであろう。さもないと帰れなくなるのだ。
通信は問題である。航空機の無線は一〇〇マイルしか届かな
い。新たにやってきた4人の海兵隊のパイロットは、攻撃ル
ートに沿って六○マイル感覚の地点で旋回し、空母飛行隊か
らの通信を拾って増幅の上、バンカーヒルの司令部区画に送
るという退屈な仕事を命じられた。これは何かうまくいかな
かった場合、ミッチャーに警告する上で助けになろう。たと
えばもし日本軍が予期以上に西に向かうか、あるいは気を変
えて本土に向かったならば………ミッチャーは思案しながら首
を振った。
「やつらは戦うさ」
と彼は言った。
「そしてわれわれがやっつける」
機動部隊には、こようとしている忙しい日々について警告す
る電報が次々と入ってくる。整備員たちには寝る時間はほと
んどないだろう。ある種の非常に困難な飛行に備え、全機を
最高の状態に整備せよという命令が出ている。飛行隊長たち
は各パイロットの紙挟み用に、目標地域往復の通過地点をく
わしく記入してある小さなチャートを用意した。アベンジャ
ー雷撃機の一部は、魚雷に代え最大量の爆弾を積むために、
機銃手なしで飛ぶ。
一つだけ確かなことがあるように思われる。それは日本艦隊
の上空では、攻撃機の反撃は全くないか、あってもわずかし
かないだろうということだ。それで仕事はずっとやさしくな
る。だがそれが確実になるのは、夜明け前に発進するはずの
偵察機が最初の発見報告を送ってきてからである。
スプルアンスは幸運にも彼らの計画を一向に知らなかった。
ミッチャーとしては理論的には何もまだ固まったわけではな
いと言うことができた。つまりこの段階では第五八機動部隊
は、細心の注意をはらって非常事態に備えていたのだ。
第五艦隊司令官に電報を送るまでにはまだたっぷり時間があ
る。戦艦隊の少将、デヨーおやじは、翌朝まで計画すら始め
ようとしていない………そしてあと数時間のうちには、いろん
なことが起こるかも知れないのだ。
〇二〇〇を少しすぎてからミッチャーは簡易寝台で横になる
ことができた。寝台の周りには参謀たちが群らがっている。
隔壁の電話の話し声は一向に止まない。ミッチャーは探偵小
説を手にして読むことにした。眠れそうにないことが分かっ
たからだった。
続きます。
ゴマの実だ。ゴマの実のかたまりがいくつか雲の下で旋回し
ている。若い機銃員の小林昌信はそれが敵機だとは信じられ
なかった。しかもたいへんな数だ。彼は警報が鳴ったとき、
食堂でつかんできた最後の握り飯をのみ込んだ。鉄兜と防弾
チョッキは外して機銃のうしろに置いた。戦闘用の装具で動
きを邪魔されては意味がない。
小さくてブンブンとやかましい目標はまだはるか射程外にい
るが、彼はクモの巣型照準器で自動追尾した。これが実戦で
あるならば、訓練時間を随分と浪費してきたにちがいない。
彼が今までに実弾を射撃した唯一の経験は………先月の広島湾
で大和を守った際の興奮したごく短時間を別にすれば……低速
で飛ぶ航空機に曳かれてゆっくりと通過する吹き流しに対す
るものだった。こうした射撃訓練すら最近ではまれになって
いる。
ねらいを外すことが秘訣である。曳痕弾が目標に届くには時
間がかかるから、ちょうど命中するように目標の前方を射撃
すれば、目標は必ず射線にとび込む。指導官は黒板に三角形
を描き、苦労しながらこのことを何十回も説明した。だがも
し航空機が小さい角度で向かってきたら? その場合の射撃
訓練はやったことがない。指導官は言った。問題は簡単であ
る。なぜならばねらいを外す必要がないか、あっても少しは
ずせばいいからだ。まっすぐ敵に向けて射撃し、曳痕弾を見
ながら修正する。実際のところなんということはないのだ。
小林はほかの機銃員にそのとおりだと言ってもらおうとして
見回した。彼らは緊張して水平線を見つめている。制服を着
た銅像の群れのようだった。
艦隊が全速力に増幅したとき、艦橋のある塔では新たな旗旒
(きりゅう)信号が風を受けてはためいた。分かっていること
の確認だった。敵機多数発見、対空戦闘用意。各艦は用意よ
しを知らせた。
伊藤整一中将は珍しく塔の上部にある指揮所の有賀のところ
へ行った。艦長は強力な双眼鏡で敵情を判断しているところ
だった。「雷撃機だな」と彼は言っている。「艦戦、艦爆、
やつらは何でももっているわい!」
「こっちはどうかな?」と伊藤はたずねた。
「準備完了です」と彼は答えた。
伊藤は大編成から離れ始めた一握りのヘルダイバーを指さし
た。「各艦に個々に射撃するよう命じた方がいいな。この手
の攻撃には対空砲火を調整しようとしても意味がない」
提督は第一艦橋に戻り、渡辺光男少尉がこの命令を隊内電話
でくり返した。エンジンの響きが大きくなったので、彼はか
らだを隔壁に押し付けた。横の、人がひしめいている区画で
当直していた電測士で京都大学卒の西尾辰雄少尉が入口から
首を出した。艦が再び発砲を始めたとき、彼は雨で映像がう
まく出ないというようなことを言っていた。
原為一大佐は攻撃機を大和から引き離そうと務めた。彼は、
機械室に全力運転を求め、矢矧は大和から三五ノットで離れ
ていった。彼はとっさの変針をくり返し、そのつど船体は振
動した。戦艦に向かっていたヘルダイバー六機のうち二機が
前方に向きを変え、巡洋艦が打ち上げる砲弾や曳痕弾には、
委細かまわず、轟音と共に左弦に突っ込んできた。原は最初
の爆弾が円形に見えながら落下してきたとき面舵一杯をとっ
た。大量の汚れた海水がわき上がって前甲板で砕ける。さら
に続いてヘルキャットがほとんど甲板の高さで飛来して爆弾
を投下、艦のリベットを振動させた。機銃弾が上部構造物を
貫通する。水上機がカタパルト上で吹きとばされたが死傷者
はない。
油の浮いた海は疾走する艦、炸裂する爆弾、しぶきを上げる
砲弾、機銃弾で切り裂かれた。半マイル先の雨雲で一時休戦
ができる。原は艦をその方向に向けた。戦闘機がマストの高
さで来襲した。巡洋艦はゲームをしているかのようにして、
爆弾の雨をかわした。山田少尉は艦橋の下の小部屋に送受話
機をしばりつけた。次々に衝撃があり甲板に投げ出されそう
になる。彼はアメリカ人の声が入らないか耳をすませたが、
ほとんど聞きとれない。彼らが例外的に決めた規定を守って
いるのか、それとも周波数がまちがっているかだ。
続きます。
感度は大で明瞭である。朝霜からの平文だった。目には見え
ないが電信員が「われ航空攻撃を受けつつあり」をたたいて
いる。「われ航空攻撃を………」通信は途絶えた。艦橋の見張
員が水平線のかなたに対空放火を認めたが、それは次第に弱
まっていった。
アベンジャー四機が矢矧の右弦から魚雷を投下した。原は虚
をつかれた。大声で操舵号令をかけたが遅すぎた。航跡が三
本、泡を出しながら巡洋艦に向かってくる。艦長は接近する
航跡に艦を向けようとした。半分まで回頭したとき一本が、
中部の水線の少し下に命中した。水柱が艦橋よりも高く上が
り、耳をつんざくばかりの破壊音があり、そのあと静かにな
った。被雷した艦はうねりの中でのたうった。機関は停止し
電力はとまり、艦尾から長い油条が広がっていく。
また見張員が叫んでいる。砲員は左弦の斜め後方きら降下し
てくるアベンジャー三機に対し効果のない弾幕を打ち上げた
。原は手の打ちようがなくただ見ている。彼の艦は坐った、
アヒルなのだ。艦尾甲板が吹きとび、海水と破壊物の破片が
轟音を上げて後部の砲員にふりそそいだ。救いがあるとすれ
ば舵と推進器がほぼ確実に被害をまぬがれたことだ。原は信
じられぬ思いで腕時計を見た。一二四六だった。やつらが、
攻撃を始めてからきっかり十二分だ。
大和ははるかに大きな被害を受けているが、それに耐えられ
るよう造られている。最初のヘルダイバー隊は対空放火の弾
幕を突き抜け、1〇〇〇ポンドの半徹甲爆弾を少なくとも二
発命中させた。一発は後部射撃指揮所をかすめ、二五ミリ機
銃二基を吹きとばしてから二段下の甲板で爆発、左弦後部応
急班を全滅させた。上遠野少尉は右弦にある隔絶された墓場
で轟音を聞いたが、彼らは中央隔壁で完全に防護されている
。彼は魚雷にちがいないと思った。もう一発は吉田少尉が一
時間前にのんびりとすごしていた主電探室に命中した。応急
指揮所では電話の応対がないので、彼に対しうしろに行って
調べるよう命じた。
吉田はいったい人間はどうやったら露天甲板で生き残れるの
か分からなかった。彼は乗員が最小の目標になるように願っ
てとっている独特の低い姿勢で這うように進みながら、まる
でキチガイ病院のようだと思った。煙突の周囲で誘惑するか
のように林立している対空砲台が機銃掃射を受けている。敵
は爆撃機と雷撃機が左右に動きながら進む戦艦に協同攻撃を
加える間に、ヘルキャットを送り込んで銃撃した。機銃弾が
糸を縫うようにして上部構造物をたたき、装甲板で音をたて
るか、あるいはなすすべのない肉体を打ち砕く。人間は吉田
が映画で観たようにただバタッと倒れるのではなかった。
〇・五インチの機銃弾が当たると砲員は紙人形のように吹っ
とび四肢はちぎれる。血が煙突の高さまでとんだ。
残酷描写が多いため、割愛させて頂きます。
艦橋の外にあるラッタルをのぼろうとしたとき爆弾が炸裂し
彼のからだはラッタルにぶち当たった。ふりかえって目をし
ばたくと、後部副砲があった所から白煙が上がるのが見えた
。軽巡洋艦なら主兵器となるだけの大きさがある六インチ三
連装砲塔は、何か大きなハンマーで穴を開けられたようにみ
える。彼は頭がくらくらしたが、大声で電探室について報告
をくり返しながらラッタルをのぼった。「総員戦死、機器全
壊、使用不能」機銃弾がうなり、灰色の鉄板から銀色の細片
をえぐりとる。彼はどうにか艦橋に戻った。そこではあいか
わらず伊藤中将が腕を組み、岩のように立っていた。彼はも
う命令を出すことはしなかった。各艦はそれぞれ自分を守る
のだ。彼は開けてある艦橋の窓から機銃弾がうなりながらと
び込んできても、たじろがなかった。艦隊機関長が胸に一発
を受け、隔壁にたたきつけられた。そしてずるずると甲板に
倒れた。血の匂いが長いこと残った。
続きます。
すざまじい音がして彼のからだは一方からもう一方にとばさ
れた。大和の巨大な船体が苦しみもだえながら水面から持ち
あげられたように思われた。口には出さなかった質問に対し
て回答があった。魚雷が命中したのだ………。
有賀は魚雷がくるのを見ていた。見張員もだった。随分とた
くさん向かってくるように思われたので彼らは決められたと
おりの報告はやめてしまった。「魚雷の方位、左何度」と叫
ぶ代わりにしゃがれ声でどなった。「左弦に、魚雷!」艦長
は最善をつくした。彼は駆逐艦のころの経験が非常に貴重な
ものだということを証明しつつある。この太鼓腹の小柄な艦
長が、はたして日本海軍の誇りである大和を扱えるか疑問視
した東京の俗物どもは、彼の勇気ある働きぶりを目にすべき
だった。彼は落下する爆弾の方向を見定め、彼に向かって揺
れながら落ちて………見張員の一人は「まるで小豆のようだ」
と言った………くると転舵を令し、その大部を巧妙に回避した
。しかし魚雷はそうたやすくは避けられない。有賀がヘルダ
イバーをかわすのに精神を集中している間に、雷撃機が左正
横から低空でしのび寄ってきた。砲術長の黒田吉郎中佐は、
大和の対空放火を調整することは断念した。有賀の頭上二五
フィートで回っている印象的な光学測距儀を含む全システム
は水上目標用に設計されているから、まるでハンマーで虫を
たたくようなものだ! 彼は各砲の長に指揮を任せ、個々に
目標を選べと命じた。目標は視界内にたくさんいる。しかし
アベンジャーが隊形を組み、青味を帯びた灰色の空に恐るべ
き影が並ぶと、彼は主砲を向けた。巨砲が接近するアベンジ
ャーの前方の海面に砲弾を打ち込み、断片と水柱で防御のた
めのカーテンを作った。
アベンジャーはわき返る海面から五〇〇フィートの高さで、
針路を保持し、まともに弾幕をくぐって接近した。砲術長は
その勇敢さを讃えないわけにはいかなかった。小型の砲が、
加わり、砲弾が空に点々と炸裂する。曳痕弾の流れが光りな
がら弧を描いて目標に向かう。一機に命中!機はひどく揺れ
、たちまちよろめいて編隊を離れ、海面で爆発した。他の雷
撃機は沈着に魚雷を投下し、終わると列を解いてばらばらな
方向に向かった。魚雷の航跡が泡を生じながら着実に向かっ
てくる。回避できる望みが一つだけある。接近する魚雷の方
向に艦を直接向け「航跡をすくようにして抜け」なければな
らない。航跡の間に艦をもっていけば、チャンスがあるのだ
。すべてが敵が魚雷投下の際とった戦法にかかっている。目
標がどの方向に転舵しようと捕捉できるよう何本かの魚雷を
投下するのが理想である。そして今が正にそれだった。泡を
生じつつある一線が急速に振れ回る艦首をそれた。もう一線
は何ごともなく艦尾を通過した。三本目は艦橋の横で爆発し
てマストの先から竜骨まで揺るがし、中部の砲を汚れた海水
で水びたしにした。四本目は左弦缶室の外側の外鈑を破壊し
た。
すでに新たな攻撃波が大和に襲いかかっていた。ヘルダイバ
ー隊が金属音を上げながら艦尾の方にやってきた。混乱した
砲員は何百機もきたと断言している。小林の目にアベンジャ
ーが単機で右弦正横から急降下してくるのが入った。パイロ
ットがちょうど一束の爆弾を投下したところだったが、艦尾
からかなり離れて爆発した。彼が機を降下から引き起こした
とき、曳痕弾が淡灰色の胴体をひき裂いた。小林の三連装機
銃は熱くなって煙を上げている。いつ融けるか分からない。
その雷撃機は煙を引きながらふらふらと上昇し、止まったよ
うに見えたとき、黄色いパラシュートが三つ降りてきた。機
は炎上しながら海面に激突した。砲員たちはキチガイのよう
に歓声を上げた。確信があったわけではないが、自分たちが
血祭りにあげたと思ったのだ。大和がひどくやられていると
きにやり返してやったのだから気分がよかった。
急降下爆撃機隊はひるむことなく、弾丸の嵐の中をなおも、
つっこんできた。戦艦は林立する水柱に隠れた。勇敢に右弦
の位置を保持している駆逐艦冬月は、一瞬大和が消滅したと
思った。大和は再び今までどおりの堂々たる姿を現したが、
うえ甲板にはいくつもの穴が開いている。
(中略)
攻撃はやんだ。能村は有賀に報告するためかけ上がった。
大和は不具になったわけではないが傷ついている。艦長は、
厳しい顔でうなづいた。涼しい日なのに、彼の制服は汗であ
ちこち黒ずんでいる。看護員が死体を担架にのせて運びだし
た。
「まだ浮いているし、まだ戦える」と有賀は言った。
「ちょっと一息つけるな」
彼は矢矧が動けずに後落していくのを見た。それから疲れた
様子で隔壁の時計に目をやった。一二五九だった。
一息つける時間は五分となかった。
続きます。
「さあ、また来たぞ!」と有賀大佐は叫んだ。艦内拡声器は
まだ機能しており、砲の多くもだ。南の水平線からやってき
た雲のような大編隊に対して主砲が射撃を始めるや否や船体
は棒で突かれたように踊った。「二〇機、五〇機、一〇〇機
」と見張員が大声をあげた。いったいどこから来たのか?
メインマストにひるがえる大きな戦闘旗はコルダイトの煙で
汚れ、厚い絹地は敵の機銃弾で裂けているが、艦自体がそう
であるように驚くほど傷ついてはいない。
後部の副砲塔は全壊し、六・一インチ三連装が空を向いたま
ま動かずに沈黙している。砲塔の中から生きて出ることがで
きたのは一人だけで、彼は揚弾機から有毒な火焔があがって
いると警告した。後部射撃指揮所のある塔の一つは、中部の
三連装機銃三基と共に粉砕され、防護されていなかった砲員
に多数の死傷者が出た。
しかしまだ使える砲列がかなりある。傾斜は直り、右弦に命
中した魚雷による被害は、装甲帯より中にはほとんど達して
おらず、速力も落ちてない。
有賀は自信たっぷりのように見える。彼は無意識に何かもぐ
もぐ言いながら露出した指揮所の中をせかせかと歩き回って
いたが、次の攻撃波が右斜め後方から殺到してきた。あの、
艦爆隊はスマートだなと彼は感心してうなるように言った。
後部から接近してくる。この角度では指向できる砲火が最も
少ない。駆逐艦の火力が緊急に必要だ。援護のため冬月が踊
りはねる種馬のように突進した。三〇ノット以上で回頭して
占位したとき、攻撃隊は編隊を解き、キラキラ光る同艦の艦
首の上空から急降下に移った。初霜は大和の左弦に近づいた
。霞のそば、前に朝霜のいた位置だが、同艦はもう長いこと
見えない。多分撃沈されたのであろう。損傷した矢矧も後落
し、救助のために磯風が待機している。浜風が沈んだから、
大和を守るのは残った六隻だ。
小林は次の合戦を前にして緊張した。実はもっと休息したか
ったのだ。ちょっと一休みしたことで、彼はもう少しで敵空
母部隊は矢を射つくしたと確信するところだった。アメリカ
軍は神風攻撃によって損害を受けたあとだから、あるだけの
航空兵力をつぎ込んで最後を攻撃をやったにちがいないと思
ったのである。大和としては闇が部隊を覆い隠してくれるま
で、あと二、三時間だけもちこたえる必要があった。それが
できれば、この巨艦が設計された究極の目標である海上決戦
を回避させることができるものは何もない。
森下少将は第一艦橋で先任参謀、山本祐二大佐と戦闘の構想
について相談した。海図は海水と血のシミで汚れ、鉛筆の線
が消えかかっている。この二時間の運動で貴重な時間が失わ
れた。任務部隊は沖縄に向かって一〇マイル進んだか進まな
いかだ。
艦内電話は駄目になったが、VHF無線機室との連絡には影
響が無い。渡辺少尉はTBS電話で駆逐艦との連絡を保った
。矢矧から次々に入ってくる報告を記録したが、被害は甚大
のようだ。どうしてあれほど立派な艦がたちまちにしてやら
れてしまったのだろうか? 大和の電信員たちはトラブルに
見舞われた。魚雷が炸裂した衝撃で無線機器がひどく揺さぶ
られた。ずっと下の装甲された船体の左舷にある二つの主電
信室は水密だといわれたのに海水がしみ出てきた。浸水がひ
どくなれば、四層下の甲板で密閉されている電信員はねずみ
取りにかかったねずみのように溺れ死ぬだろう。
続きます。
「さぁ、また来たぞ」と小林の機銃の員長である下士官が叫
んだ。右弦の砲員はこれまでのところわずかな被害ですんだ
。攻撃隊は左弦をたたき続けたのだ。しかし今やヘルダイバ
ー隊がまっすぐに向かってくる。一〇〇機あるいはそれ以上
のようだ。腐肉にとびかかるカラスだ。三連装の機銃がガン
ガンと鳴り始め、できるだけ早く遊底にほうり込んだ重い、
三〇発の弾倉を次々に吐き出す。
騒音が高まり、どもるような音波が耳朶を打ち、油の燃える
ひどい臭いがする。銃身はまた過熱したが、施条が融ける前
に至近弾によって何トンもの汚れた海水が、油にまみれた甲
板のいたる所で乗員を転倒させながら機銃にふりそそいだ為
冷やされ、シューシューと音をたてて蒸気がたちのぼった。
曳痕弾が敵機の正面に向けて送り出される。急降下爆撃機一
機が翼に命中弾を受けてよろめいた。もう一機は火災を生じ
たらしい。しかしいずれも爆弾を投下して避退した。塔の横
の炸裂弾で小林のからだは熱くなり、衝撃波が肋骨にくい入
らんばかりだった。射手は座席からうしろにはねとばされ、
カラの薬莢の間に横たわったまま動かない。胸には穴があい
ている。小林は彼に代わった。機銃はすぐにまた射撃を始め
た。いささかメチャクチャな射撃だ。空は敵機でいっぱいの
ように見える。しかしうまく一連射を雷撃機に浴びせパイロ
ットの頭を吹きとばしたように思えた。その機は反対弦の真
横からマストの高さで艦をとび越えていったが、小林は銃手
をちらっと見た。彼は小林たちの露出した機銃台に曳痕弾を
撃ち込んだが飛行眼鏡と歯がキラキラし、唇はまくれ歯をむ
きだして何かののしったようだった。機銃弾が機銃の楯に当
たってはねた。三連装のうちまん中の機銃が発砲を止めた。
後退用のスプリングが吹きとんだのだ。小林は額に刺すよう
な一撃を感じた。目に血がたまる。救急箱を探して傷口をし
ばった。眉のところに金属片がささっているのが分かり、痛
かったが取り出すとまた血が吹き出した。彼は幸運を神に感
謝した。身につけている、村の神社からいただいたお守りの
お蔭にちがいない。もう少し勢いがついていたら、このぎざ
ぎざの金属のかたまりで首をもぎとられただろう。
彼のすぐそばで弾倉を装填していた轟上等水兵もやられた。
血痕のついた甲板に横たわっていて顔はひどく青ざめている
。機銃弾が太ももを砕いたのだ。大動脈が切れたにちがいな
い。ひどい出血で死にかけている。小林は簡単に間に合わせ
の止血をやり、助けながら機銃台のラッタルを降り、中部の
戦闘治療所まで運んだ。下の甲板の通路は、無気味な静けさ
の中で、治療所にやってきた、あるいは足を引きずり、ある
いは出血し、あるいは吐いている乗員であふれている。不平
を言ったり、うめいたりしている者はいない。すでに担架に
乗せられた者は、ストイックに沈黙したまま順番がくるのを
待っている。聞こえるのはハサミで切る音と、負傷した足を
ひきずる音だけだ。
小林は軍医の注意をひこうとしたが、だれも見当たらない。
いるのは血の散ったゴムの前かけをつけた疲労した看護員だ
けだ。轟にはほとんど目をやらない。先任の看護員が非難す
るように小林をにらんだ。「おい、持ち場に戻れ」と彼は言
った。「この男は死んでいる。そこに下ろしておけ」と彼は
あいたドアの方をあごで指した。そこは大きな浴場で死体処
理班が湯槽に死体を投げ入れている。かつて彼や轟など若い
機銃員が「潜水艦」ゲームをした場所だ。今は浮いた死体が
詰まっている。死体はまだ蒸気の通っている血の湯の中で艦
の動きとともにゆっくりと互いに押し合っていた。一部は傷
がないように見え、多くはいたみがはげしい。
艦長伝令の塚本はレイテ湾で航空攻撃を経験していた。今日
の攻撃のほうが激しいが、まだそれほど心配はしていない。
有賀は新たな雷撃機隊を発見するとすぐ、彼を塔の最上部に
ある射撃指揮所にやった。悠々と飛来する敵機を撃墜しなけ
ればならぬ、と艦長は不満を表明したのだ。特にパイロット
が機を水平にし、攻撃に必要な直線飛行に移ったときをとら
えて撃墜しなければならない。砲術長はどうしようもないと
いうように肩をすくめた。相手が巡洋艦や戦艦なら問題はな
い。しかし彼の射撃管制装置は艦首方向に集まってくるグラ
マンの小編隊に対し砲火を集中することはもとより、追尾す
ることすらほとんどできないのだ。
主砲と副砲は航空機に対しては効果的ではない。最大射程で
も空中で炸裂する位置が低すぎる。砲の仰角が不足している
からで、また砲を指向するレーダーもない。目標が近くに来
た場合でもやはり失望させられる。彼はまるで立ち上がって
攻撃機隊に石を投げているような気持ちになるのだ。
砲術長は塚本に、主砲塔内の砲員に対し三式弾の時限信管を
一秒に調定しろと伝えるよう指示した。そうすれば一〇〇〇
ヤード以下で弾幕をはることができる。だが接近する雷撃機
隊には効果がなかった。米軍のパイロットたちのやり方には
情容赦のないプロらしさがあった。
大和は堂々として依然左回頭を続けている。
続きます。
能村には左舷外側の機械室と缶室の浸水が弱まったのが分か
った。魚雷の航跡が泡を生じながら露出した左舷に向かって
きたが、有賀は回頭を続けた。彼は戦闘開始以来初めて回避
運動をしなかった。左舷の舵機が海水につかり始め、動力の
いくらかのロスが懸念されるが、操舵装置は健在だ。小山操
舵長の小さな舵輪からの電気的な指令が大型水圧装置を動か
し、それが巨大な四つの真鍮の推進器が生ずる後流の中で、
四トン半ある面舵を動かす。舵機が故障したら、動力の小さ
い補助舵機に頼らねばならない。
アメリカの魚雷が爆発したが吹き上げた海水は驚くほど少な
かった。ある乗員は敵の魚雷が左舷に真横から命中したとき
虹色の閃光を見たと思った。あとになって命中した数や正確
な時間について、言うことはみんなばらばらだった。しかし
さらに引き続いてアベンジャーの攻撃波が来襲したとき能村
には三本、ひょっとすると四本が左舷に、そして一本が右舷
中部に命中したことが分かった。海水が第八缶室と第十二缶
室を呑み込んだ。右舷の命中で第七缶質もたちまちにして満
水になった。速力は十八ノットに落ち、傾斜の増大が感知で
きる。
「総員がんばれ」と能村は艦内拡声器で叫んだ。
彼は甲板が傾いたので手すりにつかまった。主砲の射撃がや
んだ。もう砲身を向けられないのだ。吉田少尉は自分が無意
識に布切れで、水びたしになった海図台を拭いているのに気
がついた。危急な際何かをしていることは効果があるのだ。
(中略)
「総員、傾斜の復元に努めよ」と艦内拡声器からまた有賀の
声がする。彼は伝声管で能村を呼び、緊急の措置を命じた。
副長は燃料を移動させようと努力した。ポンプが能力の限度
まで酷使された。
混乱が下の甲板にひろがった。それまでは応急班の仕事はな
かったのだ。爆弾命中と火災で電話が通じなくなったので、
今や中央からの指令がこなくなった。彼らは右舷に沿ってひ
ろがった火災と戦っているが、動きはにぶい。ある兵曹長は
後部弾庫を閉鎖しようとして赤く熱している扉にとびついた
とき、自分の皮膚が焼ける臭いがした。下士官の一人は爆弾
が砲術科の倉庫で炸裂したとき、機械的な動作でマスクを装
着して助かったが、周りの者は有毒ガスで死んだ。
補助舵機室が急激に浸水したため、乗員は給排気口を通って
逃げ始めた。ぬれた毛布の山とおぼしきものを乗り越え、灯
りのない長い甲板を通って退路を探した。毛布と思ったのが
死体の山だと分かって、ヒステリックな悲鳴をあげた者もい
た。とどまった者も多かった。逃げろと命じた者はいない。
彼らは落ち着いて死ぬ順番がくるのを待ちながら、静かに坐
ってタバコを吸った。
(中略)
機銃員たちは恐れ知らずの果敢さをもって反撃した。半数以
上が死傷し、その数はなお増えつつあるが、だれ一人持ち場
を離れる者はいない。ときどき機銃弾がうなりながら上甲板
をガンガンとたたいていくが、何人かは片手で戦っている。
小林は物陰に身を伏せようとしたことは一度もなかった。
彼は少年に毛が映えているにすぎず、戦前のような訓練はほ
とんど受けていないにもかかわらず、ベテランといっていい
ぐらいの激しさで最初にして最後の戦闘を戦った。帝国海軍
の鉄の規律と、周囲の興奮に気を奪われたことが、彼を機銃
に釘付けにしたことを付け加えなければならない。まだ二門
は発砲を続けているが不十分だ。彼は急降下爆撃機が海面で
爆発したとき歓声を上げ、掃射しながら軽率にも艦の進行方
向に平行して襲いかかってきた雷撃機に対しては、メチャク
チャに発砲した。
低い雲のカバーが敵に利したことはまちがいなかった。敵機
はいきなり現れて突進してくるから、正確な連射を浴びせる
ことは困難だった。小林は自分がなんとか命中させなければ
という激情にかられていることに気がついた。数十機もの、
グラマンが照準器をすぎていく。彼らが投下した爆弾はフル
ートのような音をたてた。これが三回目(それとも四回目だろ
うか)の攻撃波にちがいない。時間と経過の概念はすべて、
悪夢のような一枚の合成写真………彼の無邪気な英雄的幻想と
はまるでちがったものだった………に融け込んでしまった。
続きます。
水兵長の内木で、道具箱からスパナを出してくれと小林に言
っている。爆弾の断片が右のひざを砕いたのだ。彼は吹き出
す血を止めるために太ももの圧迫点をベルトでしばりスパナ
でねじった。弾薬箱の間で止血器をいじりながら、ものうげ
に坐っていたが、次第に意識を失っていった。数秒後に小林
もやられた。長いギザギザの金属片が機銃の防護板の下を通
ってひざに当たったのだ。引き抜いたとき指をやけどした。
出血がひどいのでひたいの鉢巻きをとって足に巻く。目には
再び血が流れ込んできた。装填手のポケットを探って新しい
包帯を出した。艦内拡声器が何か言っているが、騒音でほと
んど聞き取れない。艦の修理について言っているらしい。
彼は艦が傾いているのを知った。左舷では火災が発生してい
る。彼は足を引きずりながら銃座に戻った。九人の機銃員は
多くがやられてしまった。下士官はショックで茫然と立った
まま動かず、二人の兵もそうだ。
「心配するな」と彼は自分に言い聞かせた。
「もちこたえるさ。大和は不沈艦なんだ」
霞がひどくやられ、後甲板に生じた破口から黒煙が吹き出し
た。メインマストのハリヤードにあがっている小さな三角旗
が舵故障を示している。明らかに舵故障のため針路をそれて
大和に向かい、あやうく衝突しそうになった。二隻は短い間
隔をおいて並び、互いに相手の恐るべき被害状況を見やった
が、そのあと操縦不自由な駆逐艦は左後方に後落していった
。初霜は救助を申し出るべきかどうか迷ったが、新たな攻撃
が始まったので、戦艦を守るべく急行した。
涼月の前甲板に爆弾が命中、艦首は粉砕され主砲は使用不能
となり、露天甲板には死体が折り重なった。奮戦する冬月に
ロケット弾が命中したが爆発しなかった。魚雷も艦底を通過
したので被害はない。この優秀な艦はまたしてもすばらしく
迅速な転舵によって助かったのだ。同艦より艦齢は古いがや
はり敏捷な雪風はほとんど傷ついていない。
山田重夫少尉は悲しそうな顔をしてヘッドセットを放り投げ
た。矢矧の後部電信室は命中弾を受け浸水し、二世の友人、
倉本が死んだ。かつての大学のフットボールの選手は、最後
のフォワードパスを投げたのだ。連続する爆発によって山田
の無線機器は今やガラクタになってしまっている。だれかが
電信員たちに、艦橋の下にある通路に避難するように命じた
が、彼らは弾庫に通ずるハッチのあまりも近くに群がろうと
した。通路にきたとき、巨大な焰が彼らをとらえた。「一部
の者は甲板に放り出された」と山田は回想している。
「何人かがそこで死んだ。焰を吸い込んで死んだ者もいる。
私は首の後ろに切り傷ができ、やけどしただけですんだ。周
りは死んだ者ばかりで、死体は浮いたり、甲板の至る所でこ
ろがったりしていた。あちこちで爆発が起き火災が発生した
」
原大佐はこうした懲罰にあとどれだけ耐えられるだろうかと
思った。至近弾が船体をドシンドシンとたたく。敵機はあら
ゆる角度から急降下してくる。前甲板の命中弾で六人が空中
に吹き上げられた。彼は現在攻撃中の兵力よりはるかに少な
い兵力によって沈められた戦艦レパルスとプリンス・オブ・
ウェールズのことを思い出した。機械室では全員が戦死した
。艦ははっきりと分かるほど傾いている。
砲火が初めていくらか効果を発揮したらしい。二機の攻撃機
がきりもみして海に落ち、乗員は歓声をあげた。
続きます。
艦尾が海面からもち上がった。原はずたずたになった三つの
死体が六〇フィートの高さに舞い上がるのを見た。さらに、
一本の魚雷が艦首右舷に命中した。「矢矧は身震いし、紙の
ように揺れた」と原は書いている。「私は振動する指揮所の
手すりをしっかり握りながら、魚雷の命中で艦首に大穴があ
き、傾斜が増大するのを見た。さらに新たな戦闘機と急降下
爆撃機の隊が来襲し、粉砕された艦首に攻撃を集中した。耳
をろうする機銃弾のガンガンいう音が最高潮に達したとき、
一番砲塔に直撃弾があり、砲員全員と前甲板にいた乗員たち
をなぎ倒した。奇妙なことに艦橋と指揮所では死者はなかっ
た。しかし鉄板がゆるんでリベットがとび、艦橋はひどく振
動して今にも倒壊しそうだった」
矢矧は分解しつつある。前部の二番砲塔はまだ無傷だが、そ
の周りの甲板の裂け目からは鼻を刺すような臭いの黄色い煙
が少しずつ上がってくる。
伝声管から声がした。水雷長の亀山健大尉が魚雷投棄の許可
を求めている。搭載している九三式魚雷は、沖縄沖では最も
恐るべき武器になるのだ。
「爆発したら」と亀山は言った。「何もかも吹っ飛びます」
「投棄してよろしい」と原は言った。
中部にあるクレーンが最後の魚雷を舷外に落としたとき一発
の爆弾が魚雷発射管に命中して爆発、メインマストを倒し、
カタパルトを破壊した。続いてアベンジャー隊が雷撃、死に
かけた艦を三度、四度と揺るがした………何発命中したか、だ
れも確かではない。
「私は周りに目をやった」と原は書いている。「砲はすべて
破壊された。私の誇りとする巡洋艦は今やガラクタのかたま
りにすぎず、やっと浮いている。火災が起きていないのは妙
だな、と思った」
山田少尉は苦労してようやく甲板に出たとき、これが矢矧だ
とは分からないほどだった。上部構造物は巨大な斧でくり返
したたかれたように見える。射撃している砲はわずかしかな
い。操作すべき者がほとんど生き残っていないのだ。彼の従
兵はまだ砲のうしろで立っているが死んでいて、頭の右半分
がない。一人の水兵が苦痛に悲鳴をあげながら甲板を走り回
っている。蒸気管が破裂して火傷を負ったのだ。
「退艦したほうがよさそうだな」と古村少将が言った。沖縄
に到達するチャンスがもっとある艦に将棋を移した方がいい
。原は頭を下げ、低い声で詫びを述べた。そして総員退去を
令した。信号員が磯風に対し横付けするよう発光信号を送っ
た。同艦は戦闘中三〇〇〇ヤードほど離れた位置から巡洋艦
を見守っていたのである。駆逐艦はうねりを切り裂きながら
急いで接近したが、もう少しというときに新たな編隊が雲の
中から急降下してきた。彼らはすぐに関心を磯風に移した。
駆逐艦は回避しようとしたが遅すぎた。救助しようとした、
矢矧から離れて攻撃をかわそうとする。エンジンはキチガイ
のようにうなった。周囲で至近弾が炸裂し、爆発につぐ爆発
で船体が痛めつけられる。黒煙が上がって艦影は見えなくな
った。再び姿を現したとき逃れようとして必死に走っていた
が、新たな攻撃で生じた煙のために、すぐにまた見えなくな
った。
古村が原の腕をつかんで指さした。新たな攻撃波が西方で、
編隊を組んでいる。一〇〇機以上だ!一部が向かってきた。
右舷の甲板の血がついた排水口が水をかぶるようになったの
で、乗員は海にとび込み始めた。奇妙な静けさがあたりを、
支配していて、それを破るのは敵機のエンジンの音だけだ。
指揮所の時計は一三四二を指している。
続きます。
爆弾と魚雷の雨がたちまちにして矢矧を沈めようとしている
。フークの要請でいろんな飛行隊から来たパイロットは矢矧
を撃沈すべく、押し合うようにしながら進撃した。イントレ
ピッドとヨークタウンのアベンジャー、ラングレーの戦闘爆
撃機、いろんな空母からの急降下爆撃機。調整官のローウィ
は、自分が雲の中で適当な切れ間を探している一群と一緒に
いるのに気付いた。攻撃隊指揮官自身が攻撃することを禁じ
ているニミッツの命令を、この部隊に適用できないことは、
明らかだ。ローウィのヘルキャットは爆装しており、彼は投
下することに決めていた。
日本軍は依然としてパンチをくり出した。致命傷を受けてい
る磯風の一発がヨークタウンのヘルダイバーのパイロット、
ハリー・ウォーリー大尉と乗員のアール・ウォードを殺した
。しかし空母機の荒っぽい攻撃は、すでにさんざんにたたか
れた目標の耐えられるところではなかった。
矢矧の原艦長は機銃弾を受けて転倒した。坐ってぼんやりと
腕の傷を見つめている。古村少将は彼の上にかがんだ。
「大丈夫か?」と古村は穏やかにたずねた。それから変わり
はてた姿でもがいている艦に最後の一瞥をくれた。
「さぁ艦長、行こうか?」
艦長は靴を脱ぎながら腕時計を見た。一四〇五だった。指揮
所の鉄の甲板を海水が洗っている。航海士の松田幸夫中尉は
一隻だけある救命艇を降ろそうとした。しかし機銃掃射で、
救命艇は二つに折れ、よじのぼろうとしていた、多くは負傷
者である十二人を殺した。敵機は頭上で爆音を轟かせながら
沈みつつある甲板を掃射した。後部のどこかで一人だけ射撃
を続けていたが海に呑まれた。海水がひざまで上がってきた
ので、上級の士官や乗員も海にとび込んだ。原はやっと五ヤ
ードほど泳いだところで海中の流れに引き込まれ、頭が水中
に没した。アメリカ軍による最悪の事態を生きのびた………し
かしそれが沈んでいく自分の艦によって溺れ死ぬためだった
とはなんという皮肉だろう、と彼は思った。
ブルュワーという名前の少尉は矢矧の断末魔の写真をとって
いたが、生存者がボートを降ろそうとしたとき、傾斜した船
体に機を降下させ短い一連射でボートを粉砕し、乗っていた
乗員を海にはねとばした。巡洋艦はたちまちにして転覆、海
中で爆発を起こしたらしく巨大な黒い煙が吹き上がった。
まもなくして残ったのは油状と浮いている破壊物の残骸と、
浮かんでいようともがいている乗員の頭だけだった。フーク
は磯風に急降下して炎上中の甲板に爆弾を命中させてから、
海上の生存者に対して丹念に機銃掃射を浴びせた。他のパイ
ロットたちも機銃掃射に加わった。機銃弾の長くて白い曳痕
が大洋のうねりを切り裂き、油の中で上下している頭の数は
急激に減じていった。
原為一は自分が暗黒の中で足をけりながらもがいているのに
気づいた。しかし彼を万力のような力でつかんでいた、沈ん
でいく矢矧による海中の流れが急に弱まると明るくなってき
た。顔の前で泡が上がっていく。青味を帯びた数珠状況の、
空気が肺と衣服から流れ出ていた。口の中が海水でいっぱい
になったが、からだが海面からとび出した。頭がくらくらし
て目も見えないが、なんとか浮いていられる。目が見えるよ
うになると、周りに人の頭があった。黒い頭だ。耳鳴りがし
なくなった。頭同士がしゃべっている。黒い頭の男が叫んだ
。「艦長! 大丈夫か? 艦長! 聞こえるか?」
ほとんどだれだか分からなかったが、古村少将だった。彼ら
は油の海に浮かんでいる。
「大丈夫です」と原はのどをつまらせながら答えた。
「司令官は大丈夫ですか?」
「おれは大丈夫だ」と古村は答えた。
続きます。
浮流物につかまっているのにはびっくりした。彼は生存者は
いないだろうと思っていたのだ。波打つうねりの中で一瞬高
くもち上げられたとき、六マイル先の大和がちらっと見えた
。相変わらずの勇姿だが、雲霞(うんか)のような敵機の群れ
に苦しめられている。彼は近くを流れ去ろうとした丸太をつ
かんでぶら下がった。うしろでどなる声がした。「おい少し
移れよ、おれにもつかまらせてくれ」彼はその男がつかまれ
るようにしてやった。
「お前はだれだい。名前は?」と闖入者は息を切らしながら
言った。
「艦長だ。矢矧艦長の原だ」
その男は千葉という名の水兵だった。彼は自分の無作法に赤
くなった。日本海軍では艦長は神様なのだ。
「艦長、申し訳ありません」と彼は口をもぐもぐさせて言っ
た。「失礼いたしました。お詫びいたします。別の丸太を探
した方がよろしいと思います。二人分は無理のようですから
」
「バカなことはするな」と艦長は言った。「しっかりつかま
っておれ。なんとかなる。負傷しているのか?」
「いえ、全くしておりません。私は矢矧がもういけないとな
ったとき、同僚の者と早く死ぬことに決めました。二人で第
三弾庫に降りまして砲弾の上に乗り、粉々に吹きとばされる
のを待っておりましたが、山田兵曹が来まして甲板に上がれ
と命ぜられたのです。兵曹は、ここはおれの持ち場だと言い
まして、ひどく怒っていましたので私たちは急いでラッタル
をのぼりました。一度つまづいてひざをくじいたのですが、
なんともありません。山田兵曹と同僚はどうなっただろうか
と思っております」
「心配するな。今は生きることだけ考えるんだ。あきらめさ
えしなければ助かるぞ」
二人はグラマンが轟音とともに飛来し、機銃弾で油条をかき
まぜると、頭を水にもぐらせた。乗員の頭が西瓜のように割
れた。のどや胸に命中弾を受けた者は、海面上で背中の半分
が弓なりになり、それから永遠に沈んでいった。血がいやに
なるほど大量にある油とまざり合った………。
ウイリアム・デラニー大尉はまだ生きていて、日本艦隊のま
っただ中で浮いている。結婚記念日のことを考えるのはもう
止めてしまった。このなりゆきでは、妻はまもなく未亡人に
なるだろう。彼は黄色い救命浮舟の横につかまり敵の駆逐艦
が高速で通過するたびに、そっとからだを水中に隠した。
しかし日本軍は彼を無視した。ほかに心配しなければならな
いことがたくさんあるのだ。彼は航空機がときどき戦艦を攻
撃するのを見ることができた。これだけ距離があっても爆弾
の爆発による衝撃を海中で感じる。南西約五マイルにある大
和は、彼には動いていないように思えた。
浮舟の周りにオレンジ色の染料が大きくひろがっていく。
デラニーはそれがどこから来たのかさっぱり分からなかった
。染料入れは二包みともとってある。多分墜落したとき、他
の機がマーカーを投下したのだろう。彼は一四〇〇から一四
一五の間に日本の軍艦がすざまじい大爆発をおこしたのを目
撃した。
「前方からと思われるが、巨大なオレンジ色の火の玉が上が
った。その後その艦影を見ることはなかった」
彼は駆逐艦の最後を見たと思ったのだが実際には矢矧の最期
だった。十分後に一機ノヘルダイバーが彼を発見した。その
ヨークタウンのパイロットは翼を振り、依然として雲の中の
特等席で見物していた二機の飛行艇に知らせた。高速航行中
の一隻の日本駆逐艦が突然デラニーの方に向き、くさび状の
艦首がたちまち大きく見えてきた。彼は震えながら浮舟の蔭
に隠れて祈った………。
続きます。
急降下爆撃機一四機は、本能的に大和に向かった。戦艦は好
目標を提供していた。まだ主砲は発砲し、三隻の護衛駆逐艦
からは正確な対空砲火が上がっているが、大和は大きいし、
しかも動きはゆっくりしている。一機は五インチ弾で右翼端
をもがれ、あやうく操縦不能になるところだった。他のヘル
ダイバー三機も軽微な損傷を受けた。爆弾二七発が投下され
公式戦闘報告によれば、「極めて優秀なる成果」をおさめた
………もっとも実際にはわずかしか命中しなかったであろうが
そんなことはどうでもよかった。この段階になると至近弾が
命中弾と同じくらいの被害を与えたのである。
アメリカ軍が攻撃を再会するまでに、かなり長い休み時間が
あった。あるいは大和の乗員にはそう思えた。第一艦橋にい
た参謀たちは、たっぷり十五分はあったとしている。新たな
攻撃波は前の攻撃波が去るとほとんど同時に視認されたが、
そのあとで一休みあったのだ。日本軍は頭上で混乱が起きて
いたことを知らなかった。驚くほど効果的な挽肉器にかけら
れているような気がしていたのだが、今は思いがけず一息つ
く時間がある。小林はタバコがうまいと思った。渡辺は暗号
書を破棄する準備をした。能村は厳しい顔で傾斜計を見つめ
た。浸水で再び左舷に大きく傾くのに、そう時間はかからな
いだろう。今度は問題はそう簡単には解決できまい。吉田は
空腹を感じたので、雨衣のポケットから乾パンの袋を取り出
して食べた。森下はもう一度艦橋のある塔をかけ足で上がり
降りし、計器をチェックしたり乗員を激励したりした。こう
して動き回っていれば心配事がなくなるかのようだった。
急降下爆撃機がどこからともなく襲いかかってきたとき彼は
まだ鼻歌を歌っていた。また爆弾がぐらぐらしながら落ちて
きた。多くは大和からかなり離れて弾着した。至近弾でさら
に鉄板が緩み浸水が増した。煙突のそばの命中弾が機銃二基
を舷外に吹きとばし、もう一発は左舷の錨鎖車を破壊、錨鎖
が切れて巨大な錨は海中に落ちた。前甲板に上がろうとした
何人かの負傷者は、通りすぎたヘルダイバーの機銃掃射を受
けた。艦橋にいた三人が同時に機銃弾を受け吉田にもたれか
かったので彼も倒れた。上遠野少尉と彼の応急班は次第に艦
内の奥深く後退しながら、防水扉を閉鎖していった。彼とし
てはそろそろ上に上がってどうなっているのか見なければな
らない。
大和はまた傾いてきた。左に一五度、次いで二〇度。
「総員がんばれ、がんばれ」と有馬が艦内拡声器でどなった
。彼は伝声管で能村に再び緊急措置を命じた。だが副長はこ
れ以上何もできない。複雑なポンプとバルブの装置はこわれ
てしまった。右舷の復原用の空所は、一部は浸水したが、ポ
ンプで完全に注水するには遠すぎる。それほど苛酷な仕事を
するようには作られていないのだ。
有賀は最も心を痛めた決断を下した。彼は声をつまらせなが
ら、右舷外側の機械室への注水を命じたのである。傾斜は直
るだろうが動力はさらに落ちる。その上、下にいる機関科員
はどうなるのか? そしてそのあと何が起こったかは議論の
種だ。海水が奔入する前に避退させる十分な時間がなかった
ために三〇〇人の命が失われたのだという主張が一部にはあ
って、この戦闘の物語を1951年に映画化した製作者もこ
の見方を受け入れている。しかし能村は、機関科員は避退で
きる時間を与えられたと述べている。はっきりしていること
は、機械室が満水となって速力は八ノットに落ちたが、傾斜
は一部直ったことだ。回っている推進器は一つだけなので、
傷ついた艦がこの速力で沖縄に到達するにはまる一日かかる
。
森下は徳山沖で草鹿中将がきたときのことを思い出した。
参謀長がしぶしぶながら運命を決める命令を出してからもう
何日もたったような気がする。彼が伊藤整一に言ったのは何
であったか? もし大和が沖縄到達前に甚大な被害を受けた
ならば、どう行動するかの決定は伊藤が下すということだっ
た。しかし引き返すにはもはや遅すぎる。
続きます。
魚雷攻撃はさして成功していない。しかし一四一〇おそらく
はラングレーのアベンジャー隊によって手当たり次第に投下
された魚雷ノうちの一本が艦尾に命中、舵が取舵一杯で動か
なくなった。電気はすべて止まり砲塔もその位置で動かなく
なった。巨艦はどうにもならずに反時計回りに回り続けた。
左舷を水が洗い、艦橋のある塔は波の上でぐらぐらしている
。衝撃で第一艦橋にいた者は折り重なって倒れた。士官たち
が自分で立ち上がり、傾いた甲板でどうにか足を踏みしめた
とき、能村が「もうどうにもなりません」とどなりながら、
なんとかラッタルを上がってきた。彼は有賀大佐に報告する
ため、さらに上にのぼっていった。
伊藤整一中将はゆっくりとからだを起こして慎重に足を降ろ
した。白手袋をはめた片手で双眼鏡の架台につかまって立ち
びしょぬれになっている参謀たちに厳かに敬礼した。彼らの
敬礼を受けた艦隊長官は、一人一人と握手した。
「生き残ってくれ」と彼は言った。「私はフネに残る」それ
から一段下の長官休憩室に向かい、中に入ってドアをロック
した。
能村が上がってくると、有賀は羅針儀につかまっていた。鉄
兜は投げ捨てていて、はげ頭に霧雨があたってキラキラして
いる。彼はタバコを吸いながら海を見つめていた。
「傾斜はもう直せません」と副長は息を切らしながら言った
。有賀はもう聞いてはいないようだった。
「沈もうとしています」能村は自分が大きな声を出している
のに気付いた。「もうどうにもなりません」
有賀はあいまいにうなずいた。目には涙がいっぱいたまって
いる。
「艦長、どうか総員退去を令して下さい。乗員を甲板に上げ
て下さい。もう時間がありません」
返事がない。能村の大声が露天甲板にこだました。一人だけ
残っている機銃員がちょっとの間射撃した。
「艦長!」
「よろしい」と有馬は到頭言った。
「総員退去だ。副長も退去するんだぞ。われわれの戦いぶり
を報告するためにだれかが生き残らなければならんからな」
「艦長はどうされます?」
「副長、仕事を続けてくれ」
副長はマイクをつかんだ。「総員に達する。総員退去用意。
これは艦長の命令である。総員退去」彼は伝令を下の方の、
甲板に送って伝えさせた。閉鎖した防水扉がたくさんあるか
ら、伝令はあまり遠くまでは行けまい。事実、一〇〇〇人を
はるかに越える乗員が避退の機会を失したのである。少数に
なった機関科員の一人は補助舵機室に海水が奔入したので、
仕事をやめて最上甲板に上がったのだが、あとで恥ずかしい
と思った。艦内の至るところで、乗員は持ち場を離れること
を拒んだ。弾庫員は配置にとどまって溺死したし、右舷内側
の機械室の機関員は死ぬまで仕事を続けた。砲術科士官の一
人は左舷砲台の残骸の間でひざまづき、波が砲座を洗いはじ
めたとき、刀で上衣を切り裂いてから切腹した。第二電探室
では三人の若い水兵がかたまって横になり最期のときを待っ
ていた。からだが麻痺して動けなくなったのだ。
続きます。
乗員がパニックにおちいらないよう最善の努力をした。吉田
は、露天甲板に集まってきた、茫然自失したり恐怖にかられ
たりしている乗員に、副長が菓子屋や恩賜のタバコを配るの
を見ている。副長は乗員が片舷に走っていかないよう、海に
入る前に小便をしろと指示した。少尉は、副長が傾いた甲板
の上で笑っている水兵たちにまじって並び、まじめな顔で、
排水口に小便するのを見ていた。
「御真影はどうした!陛下のお写真をお守りするんだ!」
有賀が叫んでいた。砲術科の服部大尉は御真影を納めてある
士官室になんとかたどりつき、ドアにカギをかけた。この神
聖な品がまちがっても海面に浮上したり、敵の手に落ちたり
しないようにするため、死ぬのだ。茂木航海長は艦とともに
しずむことに決め、第一艦橋の羅針儀にからだをしばりつけ
た。操舵室では小山が舵輪を握っている。
「舵ききません」と彼は艦長にくり返し届けた。海水が流れ
込んできても動かなかった。操舵室からきている伝声管が、
突然沈黙した。小山は持ち場で溺死したのだ。
戦闘旗は依然メインマストにあがっているが、ぼろぼろに破
れている。見張員は学校の教科書で似たような絵を見たこと
があった。日露戦争の勇壮な場面を描いたものだった。
若い下士官たちは拡声器が艦長の命令を伝えるとすぐ、その
場にとどまろうとしはじめた。森下は走り回って彼らをなぐ
りつけた。
「命令を聞いたから分かっているはずだ」と彼はどなった。
「総員退去だぞ!出ていくんだ。命をたいせつにしろ!」
彼は双眼鏡を海図室の中に放り込んだとき、渡辺がロープで
からだを海図台にしばっているのを見つけた。参謀長は少尉
の耳のうしろをなぐった。「出ろ! 出るんだ!」と彼はど
なった。艦と運命をともにしようと考えていた吉田もあきら
め、他の者といっしょに激怒している少将から逃げ出した。
トム・ステットソン大尉の雷撃機隊は矢矧を攻撃するはずだ
ったが、目標上空に達したときには同艦は沈んだも同然だっ
た。彼はアベンジャー六機を巡洋艦と他の護衛艦に向かわせ
自分は大和を攻撃することにして、ハーバート・フークの許
可を得た。ステットソンは四機を直率する。六機からなる彼
の小隊は、ついに目標を与えられたのだ。
ヨークタウンのパイロットたちはゆっくりと時間をかけた。
薄くなってきた雲の中で旋回し、その間に乗員が魚雷倉でか
がんで深度を調定し直したのだ。深度一〇フィートで航走す
るようにしてあったが、巡洋艦には理想的でも装甲の厚い戦
艦には浅すぎる。ステットソンは、彼が攻撃計画を練る間に
一八ないし二二フィートに調定するよう命じたのだった。
大和は傾き、どうしようもなく左に回頭している。傾斜が大
きいので、赤鉛塗料を塗った右舷の下腹が水面からかなり上
に出ている。そこに命中すれば艦底が船体から引きちぎられ
るであろう。
続きます。
二回接近行動をとって満足した。おぜん立ては完璧である。
彼はエンジンの回転を急に上げ、全速力三〇〇ノットとした
。四機は横並びで突進した。ウィリアム・ギブソン中尉指揮
の二機がすぐあとに続いた。彼らは敵に発見されることなく
高度八〇〇フィート、距離一〇〇〇ヤードで魚雷を投下した
。対空砲火は上がってこない。機を引き起こして離脱し身を
守ってくれる雲の方に向かった。
ステットソンは少なくとも魚雷の航跡四本が何も気付いてい
ない戦艦に向かうのを見た。だれの魚雷かはわからないが、
一本か二本、あるいはそれ以上が命中、装甲帯の下の露出し
た下腹を破壊した。
有賀大佐がからだを羅針儀にしばりつけるのを手伝っていた
伝令の塚本は、傾いた甲板でしっかり立てるよう、靴を脱ぎ
たいと思った。リノリウムは血ですべりやすくなっている。
有賀はこの若者が死ぬ用意をしているのではないかと思って
靴を脱ぐなと言った。予期しなかった爆発が起こって塚本は
倒れた。弾庫が爆発したかのように思われた。
「天皇陛下万歳」と有賀は叫んだ。
帝国海軍では艦長は艦と共に沈むのが伝統になっている。
この伝統を弁護する者は、英国のやり方を踏襲しているのだ
と主張した。だとすれば日本人はまちがっている。英国海軍
の伝統は艦長は最後に離艦することを求めているに過ぎない
。むしろ日本人は彼らの昔からの伝統に従っていると言った
方がいいだろう。艦長は艦を失った罪滅ぼしをしなければな
らない、という気持ちになるのだ。この誤った考えによって
面目は保たれたかも知れないが、太平洋戦争を通じて多数の
貴重な人命が無駄に失われたのである。
上遠野少尉は甲板に出て、一発の機銃弾が艦尾の旗竿を切断
するのを見た。旗は海に落ち半裸の乗員が拾おうとしている
。上遠野は自分の目が信じられなかった。彼らの誇りである
艦がそれとは分からなくなっていて、急速に沈みつつある。
彼はどんどん浸水している通路を泳いで自分の応急班に戻っ
た。艦はさらに左に傾く………まちがいなく大和の運命は定ま
ったのだ。彼は下の方の満水になった区画のどこかにある、
彼のトルストイの本のことを残念に思った。結末がどうなる
か、もはや知ることはないのだ………。
時刻は一四二〇だった。一二三七からまともに攻撃され続け
てきたのだ。艦隊の位置は九州からまだ一〇〇マイルとは離
れていない。
信号員は初霜を呼ぼうとしたが、発光信号灯がつかない。
駆逐艦は正横一〇〇〇ヤードにあってあまり動いておらず、
甲板には乗員がいっぱい並んで大和の恐ろしい光景をながめ
ている。霞と冬月はいずれも後方一マイルで燃えながら漂流
している。北方の水平線では一条の煙が磯風の位置を示して
いる。冬月は沈もうとしている大和に接近し始めたが、艦長
の気が変わった。いっしょに海の中に引き込まれたくはない
と思ったのだ。
小林は溺れ死ぬとはどんなことだろうかと思った。海は冷た
いにちがいない。寒冷地の海では三分もいればおしまいだと
聞かされたことがある。三分すれば声が出なくなり次第に、
意識を失っていく。本当にそんなに簡単なのだろうか?死ぬ
決心をしていても、生きようとする力が自然にはたらいて、
水をかくのではないだろうか?少なくともここには鮫はいな
いのだ。
彼は木材の折れる音や金属の切断する音で最期が近づいてい
ることを知った。血のついた彼の機銃が急に左舷の方に傾き
カラの弾薬庫が下の甲板に雨のように降りそそいだ。神戸出
身の同僚で、頑丈な若者だった予備装填手の死体が胸の高さ
がある銃座の隙間の方にすべり、半分がラッタルの上にぶら
下がった。甲板でまた裂ける音がして機銃が再び動き、ぶら
下がった死体は他の死体の上にころがり落ちた。甲板は爆弾
の破片や機銃掃射で倒れた乗員でいっぱいだ。
続きます。
機関銃と機銃で傾いた広い露天甲板や爆弾であばたになった
上部構造物や、艦橋のある巨大な鋼鉄の塔に掃射を加えなが
ら頭上を低く飛んでいて、アメリカ人の顔がはっきり見える
。反撃する者はほとんどいない。中部に林立している対空砲
は死体が詰まっているか、あるいは動力がないために動かな
い。浸水した船体の下部からはい上がってきた、びしょぬれ
で半分目が見えない乗員のからだを機銃弾が切り裂く。また
下に逃げ帰った者もいるが、そこでは確実に死ぬのだ。多く
の者が自分の配置で死んだ。少数の者が後部のカタパルトの
下の防護された一隅や破壊された電探室でからだを寄せあっ
た。電探室では応急電源で奇跡的に機能している艦内拡声器
が単調な声を伝えている。
「総員退去、総員退去、これは命令である………」
銃座が振動を始めた。地震の始まりのような感じだ。三門の
機銃はどうしようもなく架台の上で振れ回っている。小林は
発砲を断念し、信じられないと言った様子で甲板を見つめて
いる下士官と共に行動することにした。
「倒れるぞ」と下士官があえぎながら言った。
そのとおりだった。大和が大きく傾いたため、銃座が架台か
らちぎれようとしている。まさか沈むのではないだろうな?
だれもこの艦は沈められないのだ………アメリカ人でもだ。
大和は不沈艦であり、世界一大きい戦艦であり、日本帝国海
軍の誇りなのだ。
艦内拡声器が沈黙した。他のあらゆるものもだった。低い灰
色の空にはしばしの間、急降下する敵機はいない。世界が息
をつめているかのようだった。
艦橋のある高い塔は海に向かって大きく傾いている。切れ切
れになって黒ずんでいる戦闘旗はまもなく海面にふれるだろ
う。傾斜は容赦なく増していく。まるで山が………スローモー
ションで………海の上に倒れていくようだ。
「小林」と下士官が言った。「もうここでは何もできんな」
彼らはいずれも負傷している。下士官はからだの具合が悪い
ように見えた。九人いた機銃員のうちの三人目の生存者は、
それまで防護板のうしろでかがんで恐怖におののいていたが
彼らの方に這い出てきた。三人以外は到底助けられない。頭
のない旋回手は座席で前かがみになっていて、他の機銃員は
架台の周りの、血と油と至近弾がはね上げた汚れた海水がた
まっている中で折り重なっている。
警告するような最後の振動があって、三人は鉄のラッタルを
降りた。痛そうにしている下士官が一番あとだった。彼が足
を引きずりながらラッタルを離れたちょうどそのとき、残っ
ていた支柱が折れて機銃台いっさいが甲板からもげ、上部構
造物をつぶしてバウンドした。死体と機銃と弾薬箱が海にこ
ぼれ落ち、またも薬莢の雨が降った。一五フィートほど内側
にあった機銃台も一瞬ののちにもぎとられた。死体がひとつ
空に舞い上がった。逃げようとして間に合った者はいなかっ
た。
戦艦の塔はほとんど海面と同じ高さになった。乗員は傾いた
甲板から舷外にふり落とされた。倉庫員の一人は塔がのしか
かってきたので必死に泳いだ。戦艦が横倒しになったとき、
海中にいた何十人かが煙突に吸い込まれた。伝令の塚本は、
自分が海にすべり落ちていくのが分かった。ボロボロになっ
た戦闘旗が水につかろうとしている。彼はポケットから乾パ
ンを出して有賀の手に握らせた。羅針儀にからだをしばった
艦長はにやりとして口に入れた。塚本は次の瞬間には水の中
にいたが、これほど冷たいとは知らなかった。
続きます。
泳ぐのをあとまわしにした。足元の甲板がひどく傾いたので
彼はついに排水口の導索金具をつかみ、山羊のようにもがき
ながらよじのぼった。船体の奥深くで生ずるガラガラという
すざまじい音で、隔壁が破れ砲弾が炸裂し、重い備品がはぎ
とられて自由に動き出したことが分かる。カタパルトが振れ
回って海面に激突し、そばで隠れていた乗員ははらい落とさ
れた。塔の頂上でメチャクチャに回っていた測距儀も海面を
たたいた。
小林は大和がゆっくりと転覆する間に苦労しながら右舷によ
じのぼった。今は水面上に出た、フジツボの付いている右舷
の竜骨まで這っていったので、手と膝をすりむいた。彼はそ
こでからだを支えて死を待った。ぼんやりと裏返しになった
艦底を見つめる。赤いペンキが塗ってあり、彼のような多く
の生存者たつと同様、たくさんの海草が付着している。彼の
機銃の下士官と、こわがっていた装填手は助からなかった。
四つある巨大な真鍮の推進器の一つが見えてきた。まだゆっ
くりと回っている。
一部の者は「君が代」を歌っている。他の者は荘重な海軍の
悲歌を歌った。
「海ゆかば水漬く屍………大君の辺にこそ死なめ かえりみは
せじ」
正に典型的な日本の歌だ。ジョニーが意気揚々と家に帰るこ
とはない。日本の軍歌は彼をどこか外地で朽ちさせるか、そ
れとも今のように無謀な自殺突撃によって絶望の中で死なせ
るのだ。白鉢巻きをした半裸の士官がヒステリックに万歳を
叫び、旋回中のアメリカ機に対して刀を振り回すという無力
な挑戦をしている………それはこのまるで役に立たぬ作戦を象
徴していた。出撃に際しての豊田大将の訓示はなんと言って
いたか?
「皇国ノ興廃ハ正ニ此ノ一挙ニアリ」
今や帝国を救うことができるのは神様だけになったのである
。
小林はひたいの包帯を締め直したがまだ目に血が入ってくる
。彼はポケットの戦闘糧食の最後の一片を探った。海苔巻き
せんべいが一つとクシャクシャになったタバコが一本、これ
は出撃の前日特に総員に配られた恩賜のタバコである。彼が
食べたり吸ったりしているうちに、細かい霧雨が戦場に降り
始めた。
すざまじい爆発があって彼は海にほうり出された。海中に、
からだが没したとき最後に彼が考えたのは母親のことだった
。意識を失っていくうちに母が彼の名を呼ぶのをはっきりと
聞いた………。
続きます。
とらえられた。二度、三度と沈んだ者もいる。数十人が水中
爆発で死に、その多くは浮き上がったが内臓破裂ではらわた
がねじれ、鼻と耳から血が吹き出していた。副長の能村次郎
大佐はこのあと何年も内臓の障害に悩まされることになる。
彼は昏睡状態で浮いているところを発見された。吉田満はつ
ぶされたように感じた。肺が破裂しそうになりながら緑灰色
に光っている海面に上がろうと水をけった。浮上したとき、
破壊したタンクから流出した油で目がひりひりした。彼は顔
をなで、空気を吸おうとあえいだ。周りには泳いでいる者、
浮いた死体、何かの残骸の焦げた破片などがある。世界最大
の戦艦が一時間四十二分の絶望的な戦いのあとで残したのは
それだけだった。
トム・ステットソンは二マイル先で旋回していた。ハーバー
ト・フークのヘルキャットは少し離れ、翼に付けたカメラで
写真をとっていた。彼らは大和が完全に転覆するのを見た。
さえない赤色をした艦底は乗員といっしょにゆっくりと動い
ているように見えた。次の瞬間、大和は爆発した。時刻は一
四二三だった。
「宇宙誕生のものすごいビッグバンだった」とフークは語っ
た。「煙が上がり………火の玉はほぼ一〇〇〇フィートの高さ
になった」
「私が見た最も美しい光景だった」と彼の銃手、ジャック・
ソーサは語った。
「突如として一条の赤い火焔が上がり、消えたとき大和の姿
はなかった」
「われわれが到達するまでに大和はひどくやられていた」と
ステットソンは語っている。「傾きつつあったから、いずれ
にせよ沈んだだろう。大和は巨大な火の玉と煙を吹き上げた
。それが最期だった」
最後のアメリカ機の編隊が一四四三、大和の生存者に別れの
機銃掃射を浴びせるために向かった。機銃弾が油の海を激し
くかきまぜ乗員は自分の血の海の中でたちまち沈んでいった
。ほかの者は静かにあきらめた。疲労や負傷や、からだにし
みわたってくる寒さが、生きようとする意欲を弱らせた。
きのこ状の雲がゆっくりと数千フィートの高さに上がってい
く。日本海軍の火葬の様子は、九州の海岸からもはっきりと
見えた。海軍の誇り、建造されるべきではなかった、とてつ
もなくバカげた大艦は四五〇ファザムを沈み東シナ海の墓場
に着いた。二〇〇〇人以上が大和と共に沈んだが、まだ多数
がこのあと死ぬことになる。
「民衆は自分の歴史を歴史家の手からではなく、詩人の手
から受けとりたいと願う」とはドイツの詩人ハインリッヒ
ハイネの名言ですが、この日本民族の偉大な過去を奏でる
葬送行進曲を華麗に指揮するスパー氏の手腕はカット割り
のみごとさ、編集テンポの良さにおいても際だち、壮絶な
水上特攻を記録する芸術映画の趣きを、今日に伝えます。
スパー氏がメインキャストに選んだ小林とは埼玉県出身。
大和における最年少19才の上等水兵小林昌信氏ですが
なかなか感動的な彼の登場シーンから、大和建造の意義
をさかのぼり、昔日の勇姿を偲んでみたいと思います。
呉はこの地球上で最も美しい場所の一つにあるみすぼらしく
くすんだシミだった。瀬戸内海に点在する島々は、まるで打
ち倒された先史時代の怪物のような形でもやの中に溶け込ん
で、もみの木をまとい、小さな砂浜と絵のように美しい岩と
静かな漁村に囲まれて横たわっている。これらの島々と対照
的に呉は、丘の中原をくり抜いて貯油所にした吉浦の鼻から
川原石に近い潜水艦桟橋を経て、巨大な金属製の倉庫群や古
い煉瓦造りの一連の鎮守府施設に至り、さらに宮原を過ぎて
迷路のように延びている造船台や乾ドックまでシミを広げて
いる。
続きます。
初めて大和を見たときの衝撃をすっかり忘れることができる
者はいなかった。吉田満少尉が着任したとき、チーク材を張
った巨大な前甲板はまるでラグビー場のように見えたものだ
った。それから四カ月たった今でさえ、感銘を覚えずにはい
られない。彼は服装の最終チェックをしながら、そびえ立つ
前しょう楼や多数の砲やラッタル(階段)やアンテナに畏敬の
まなざしを向けた。
大和はスマートな艦だった。戦争がこれほど絶望的な段階に
きていても、大和のペンキにはシミ一つない。士官や下士官
は、艦隊のだれよりもきちんとした服装でいることを求めら
れている。後部舷門にいた甲板下士官がかしこまって小さな
鏡をさし出したので、吉田少尉はそれでもう一度服装を正し
た。帽子はまっすぐ、靴には曇りがなく、ネクタイの結び目
は規定の大きさで、剣帯は正しい位置に装着する。彼はさっ
とスマートに敬礼してから舷梯をトントンと降りてランチに
乗った。
艇長のボースンパイプが鋭く鳴ってエンジンがうなり、艇員
が磨き上げた爪竿で艇を押し離し、艇首が日本最大の泊地の
方に振れた。ランチには大和の最後の巡らん隊が乗艇してい
る。錨地から穏やかな海面を滑らかに一マイル進んで小さな
灯台と信号所のある小島を回り、頭上には樹木があって弾薬
貯蔵用のトンネルが蜂の巣状に走っている、岩でできた島の
横を通過した。トンネルの鋼製のドアは岩の色に合わせて、
薄茶色に迷彩をほどこしてある。
艇長は曳船や、はしけの間を巧みにすり抜け、海軍基地の正
門から遠くない一号桟橋にスマートに着けた。少尉はからだ
の横で長剣をカチャカチャいわせながら階段をかけ上がった
。うしろには下士官一名と兵六名が続いた。大和は出港の予
定であり、上陸員を帰艦させるのだ。艦内では「臨戦準備」
が下令されている。帰艦しなかった者は銃殺されることもあ
るのだ。巡らん隊は上陸した乗員の住所をチェックしながら
街を歩いた。冷酷な別れの場面もいくつかあった。海軍はこ
こ数年アメリカの強大な艦隊のために驚くほど損耗の激しい
戦闘を重ね、次第に兵力が減少してしまった。わずかに残っ
ている艦艇の将来について幻想をいだいている者はいない。
まだニュースとして全国に流されてはいないが、帝国本土に
すぐ近い沖縄に対して本格的な侵攻作戦が始まっていること
を海軍は知っていた。
中略
小林昌信の上陸は終わろうとしている。大和の機銃員では一
番若い十九歳の上等水兵は、陸上で両親と一夜をすごす特別
許可をもらっていた。今彼らは黒塗りのテーブルの周りに坐
り、貴重な時間が刻一刻とすぎていく中で、意識的に普通の
会話を交わしていた。「昌信、お前は立派に見えるよ」と、
母親が言った。両親は水兵の息子に恥ずかしげな微笑を送っ
た。彼は家族の中では冒険好きだという評判をとっていた。
十五歳のとき中国に仕事をしに行ったが、それは傀儡(かいら
い)満州帝国を食い物にしていた多くの日本企業のひとつに
若い給仕としてだった。二年後に彼は海軍に志願し、天皇の
しもべとしての新しい身分を得た。海兵団で激しく鍛えられ
た数ヶ月は、経験ある水兵………このころは絶望的なまでに不
足していた………を作り出すには不十分だったが、苛酷な訓練
も彼の十代の熱意を失わせることはできなかった。
戦争のこの段階では民間人のすべてがそうであったように、
彼の両親は疲れた様子でみすぼらしく見えた。東京に近い埼
玉県の田舎からやってくるのに二十四時間以上かかったので
ある。超満員の電車は爆撃機の接近を告げるサイレンが鳴る
たびに、あるいは作業隊が線路から残骸を取りのけるたびに
停車し、そして発車した。今では毎日、日本のどこかが燃え
ているように思われた。
続きます。
若い小林には仲のいい少年がいて、彼の両親は酒屋を営んで
いる。在庫は減っており、棚にはびん入りのビールや地酒は
なかったが、縄でしばった酒樽はたくさんあった。勤務を終
えたばかりの労働者が並んでコップ一杯の酒を求める。主人
は予備の部屋を、一般の人たちが要求し始めた法外な値段よ
りも、少し安く賃貸しした。少数だが愛国的な人は戦争で儲
けることをいさぎよしとしないのである。小林一家は二階の
寝室の畳の上に坐っている。両親は粗末な塗りのテーブルと
湯気をたてている薄いお茶の入った湯呑み越しに昌信と向き
合っていた。彼らはときどき家庭生活についておしゃべりし
ながら、それまでの何時間かをすごしてきた。しかし父親に
落ち着きがないことは明らかだった。伝統的なやり方なのだ
が、愉快でないことは会合の最後に残しておいたのである。
「戦争についてなんだが」と彼は到頭言った。「アメリカ人
はまだ敗北を認めようとしないらしいな。爆撃機が本土を攻
撃しているし、フィリピンと硫黄島は落ちたらしい。沖縄が
今にも攻撃されるといううわさが街にはある」
昌信はまだうまそうに指をしゃぶっていた。「おいしいお菓
子でした」と彼は母親に言った。二人はお辞儀をして微笑を
交わした。彼は父親に言った。「うわさはしょっちゅうです
よ」
艦内では、沖縄の一部はすでにアメリカ軍に占領されており
何らかの反撃作戦が数日中に計画されるといううわさがある
が、彼はそれを話すことはできなかった。しかし両親にはだ
いたい分かっているようだった。おそらくは、だからやって
きたのだろう。日本人の親は息子が死のうとしているときに
は、それが分かることがしばしばあるらしい。彼は艦内の食
堂で気味が悪いほど正確な予感がした母親たちの奇妙な話を
随分と耳にしていた。彼は母親の方を見た。彼女はじっと坐
ったまま畳に目を落としている。
「もちろん」と彼はなんとか明るく振るまおうと努めながら
父親に言った。「戦争の形態を変えなければなりません。わ
が国の栄光ある精神で敵に勝つのです。若い特攻隊員たちが
アメリカのフネを沈め、やつらの肝っ玉を震えあがらせてい
ます。一億が全滅したってわれわれは戦うのです」
彼は国の宣伝機関が作り出した標準的なたわごとをただくり
返したのだった。実際には日本を敗戦から救う手段は何もな
かった。それなのに日本を窮地に陥れてしまった、情勢に無
知で過信家の軍国主義者たちは、まだそのことを認めようと
しない。彼らは疲弊しきった国家に圧力をかけ、神の力で救
われるだろうというかすかな希望の下で、負け戦を続けさせ
ているのだ。もし救われなければ国全体が消滅するのであり
降伏など思いもよらないことなのである。
昌信には父親に不同意な理由は何もなかった。彼は、高級司
令部を悩ませている頑固で自暴自棄な風潮とは関係がない。
彼の任務は命令に従い………そして勝利を信ずることである。
東京のラジオが桜花隊の特攻パイロットによるアメリカ海軍
の損失について誇張した報道をしたとき、彼は多くの忠誠な
日本人と同じように、疑問なしにそれを受け入れた。新聞は
ふた月前に命を捧げた二十二歳の少尉の辞世の句を掲載した
ばかりだった。
潔く散りて果てなん春の日に
われは敷島の大和さくら子
この句は彼の多感な目に涙を催させた。「男は死ぬ心構えが
できていなくてはなりません」と彼はやさしい声で父親に言
った。ピカッと光った火の玉がヤンキーの空母を引き裂くが
それは彼の死に方ではない。彼の死は敵との水上戦闘の際や
ってくるだろう。臆病なアメリカ人たちが生きのびようと逃
げるとき、巨砲が雷鳴のようにとどろき、砲弾が退却する艦
隊で炸裂するだろう。彼は自分が天皇への永遠の忠義のあか
しとして、英雄的に死んでいく光景を思い浮かべた。
「行かなければなりません」と小林昌信は言った。彼は言葉
を探しながらためらった。まだ言いたいことがたくさんある
。今まで両親が彼のためにしてくれたことのすべてに感謝し
たかった。もう会うことはないかも知れない。だが日本の家
庭の禁欲的な儀式的習慣からして、無作法に感情を表現する
ことは許されないのだ。彼はどもりながらやっとこう言えた
「私は大和で勤務できるのを誇りに思っています」彼がすっ
とあとずさりして部屋から出ると、両親はお辞儀した。彼は
階段の途中で、母親がすすり泣くのを聞いたように思った。
下士官が桟橋で若い水兵を検査している。彼は吉田少尉に敬
礼してからランチに乗って坐った。ほかの連中はまだダラダ
ラと歩いてくる。巡らんが急げと怒鳴った。家々では涙の別
れがあった。ある乗員は妻と生後四週間の息子に固苦しい別
れを告げ、それからそっと一区画を回ってから戻り、窓越し
にもう一度二人の姿を見た。天皇の水兵たちは運命には従う
けれども、感情のないロボットではないのである。大部分の
者には再び乾いた大地を見ることはないだろうということが
分かっているようだった。ランチが外港の錨地に向かうとき
彼らは淋しそうに後方を見詰めていた。下士官はその晩、艦
載機の格納庫でアメリカ映画を上映する予定であることを思
出して急に明るい気分になった。こうした外国の文化的でわ
いせつな作品の上映は戦時下の日本では禁止されていたが、
海軍には独自の規則があった。映画はディアナ・ダービン主
演の「オーケストラの少女」で、みんな以前に見て喜んだの
だった。しかし誰かが指摘したように、航海中だったら映画
見物はない。その男の言ったことは正しかったのである。
続きます。
大和の艦内は騒がしかった。食堂の拡声器から命令が流され
号笛がひびき乗員が叫び、ガンガンという足音がラッタルを
上がり降りし、区画の扉を閉めるドシンという音が、艦内の
ずっと下の方の洞穴(ほらあな)のような通路中にこだまする
。乗員が上甲板では砲銃を点検しランチを格納し前甲板では
繋留索を離す準備に忙しく動き回っている。
大和は大きな艦だった。何もかもがスケールを大きくして作
られている。露天甲板は長さ八六三フィートで艦尾まで切れ
目なく優雅にうなっている。日本海軍の設計の典型的な形状
で、艦首からゆるやかに下がり、二つある巨大な一八・一イ
ンチ三連装の前部砲塔の二番目、つまり第二砲塔のうしろで
盛り上がり、次いで艦尾まで徐々に下がっていく。艦橋のあ
る前しょう楼はこの甲板から高さ八〇フィートあり、最上部
には一五メートルの光学測距離と一三式水上電探の旧式な、
網型アンテナが二基ある。しょう楼の中にはエレベーター二
台と、艦あるいは艦隊の指揮にあたる士官たちのための区画
が六つある。船体は五つの甲板に分かれ、それぞれがさらに
区画に分かれているが、あまりにも複雑なので夜の巡検は一
時間近くかかる。冷房された区画がたくさんあって困苦欠乏
に耐えることが美徳とされた海軍では革命的な新機軸だった
。居住区も広々としているので、外部の連中はうらやましが
って「大和ホテル」と呼んでいる。
大和が美しい艦であることにだれも異論はなかった。日本の
戦艦は一九二〇年代と三〇年代の近代化、再近代化工事によ
って次第に醜くなった。艦橋や射撃指揮所はいっしょにされ
不格好でトップヘビーなパゴダ状の塔になった。しかしこう
した体裁の悪い間に合わせ的な工事の時代も、設計者たちが
この力強くてしかも美しいシルエットを生み出したときに終
わりを告げた。塔には雑然としたところはなく、きれいな、
流線型をしている。巨大な一本煙突は後方に二五度傾斜して
いる。水上機六機を収容できる格納庫の上の後甲板にはクレ
ーンが一基とカタパルト二台が載っている。上甲板には巨大
な三連装砲塔三基………前部に二基、後部に一基………と六・一
インチの副砲から、中部に集中している対水上対空両用の五
インチ連装六基と、装甲覆い付き三連装対空機銃三一門に至
る砲銃が林立している。
続きます。
遅かれ早かれアメリカ海軍と太平洋で覇を争わざるを得ない
ようになることが明白になったとき、日本はこの巨艦を五隻
建造することを決めた。第一艦には天皇家の先祖たちが最初
の恒久的な都を築いた奈良の都の周辺地域の名をとって大和
という名誉ある名前が与えられた。この名前はとりわけ愛国
的、信仰的なひびきを持っていた。日本人はまだ自分たちの
ことを「大和民族」と呼んでいるのである。この名前は艦に
国家の象徴的な尖兵となるのが使命だという特殊な感情を持
たせたのだった。
これほどの怪物を建造しようという努力は、日本の工業力を
圧迫した。日本はすでに不況で痛めつけられていた。破産し
た農民たつは娘を遊郭に売り、一部の地方の県では二〇年代
に電化されたのに、また石油ランプとローソクの時代に戻っ
ていた。小作人はそれしか買えなかったのだ。しかしまず、
満州、次いで満州以外の中国に対する陸軍の無謀な一方的な
介入は、全国的なヒステリーに拍車をかけ、このため理性は
裏切りとされて、金はすべて戦争の道具を作り出すのに費や
されたのだった。これらの道具は極めて強力なものでなけれ
ばならなかった。日本帝国海軍は仮想敵国に対して健全な敬
意を払ってきた。指導者である提督たちの多くは、かつて海
軍武官としてワシントンで勤務しており、眠れる巨人の潜在
的な強さを知っていた。しかしアメリカでさえ意気銷沈して
いた破産の三〇年代においては。アメリカが両洋海軍を建設
する力、あるいは意志を持つのは不可能と思われていたので
ある。
こうしたことは、アメリカの艦艇が大西洋、太平洋、インド
洋、そして地中海の全域に展開している今ではバカげている
ように思われるけれども、三〇年代半ばの日本海軍の戦略家
たちが見たのは、孤立主義的なアメリカ議会が、不適切な、
アメリカ軍を強くしようとするルーズベルト大統領の辛抱強
い努力を、執拗に邪魔しているところだけだった。アメリカ
海軍の兵力は両洋を支配するには不足していた。日本との間
で戦争が起これば、アメリカは戦艦をパナマ運河経由で太平
洋に移さなければならない。そして日本が勝利の方策を見つ
けたと信じた理由は、正にこれだったのである。
運河の水門は大きさが決まっている。日本の情報当局の見積
もりによれば、通過できるのは排水量六万三〇〇〇トンまで
であろう。この大きさですら条約下にあったそのころには空
想的と思われた。これまでに建造されたアメリカ最大の主力
艦は排水量三万四〇〇〇トンに満たない。大和級ははるかに
大きなものになる。恐るべき口径の大砲を積み、重々しく装
甲され、事実上沈めることのできない超軍艦になるのだ。
設計作業は一九三四年十月、正式に始まり、当初から厳重に
秘密が保たれた。選ばれた設計チームは、東京の艦政本部で
仕事をした。極度の秘密保持はのちに批判された。計画をも
ッとオープンにして広く専門家の評価を求めたならば、いく
つかの重大な欠陥を見付けることができただろうという批判
でいる。しかす当局の秘密保持は極端なものだった。外国人
の移動は大幅に制限され、警察は外国人居住者が運転免許証
を入手することさえ困難にさせた。たいそう恐れられた憲兵
は至るところに存在していた秘密警察だったが、外国の武官
や新聞記者の尾行に随分と時間を費やした。国土は広い範囲
にわたって立ち入り禁止になっていた。悪意などまるでない
スナップ写真をとることさえ危険だった。日本の港湾で写真
をとるのは犯罪的な規則違反なのである。大和はひそかに「
超戦艦一号艦」と呼ばれたが、写真は公開されなかった。少
なくとも戦後まではである。残っていた記録が押収されるま
で、アメリカ人は何を相手にしたのか分からなかった。アメ
リカの有能な暗号解読者たちすら、驚くほどわずかしか知り
得なかったのである。
続きます。
五ヶ月でできた。一見しただけで、日本人にとってさえ野心
的にすぎるものであることは明らかだった。そこに描かれた
巨大戦艦は満載排水量が七万五〇〇〇トンを優に越え、二〇
万馬力のタービンによって最高速力三一ノットを出す。東京
の戦略家たちは、これだけの大きさの艦を日本の浅い港湾で
ドックに入れるには、克服できぬ困難があるとみた。彼らは
また超大戦艦はそれだけの速力を必要としないという、説明
のつかない結論にとびついた。最大速力二七ノットで十分で
あろう、なぜならばアメリカはそれより早い艦は作りそうに
ないからだ、という誤った考えを持ったのである。
ここに日本海軍の政策の大きな誤りがあった。海軍は防護の
ための装甲を若干犠牲にしてでも、常に高い速力の方を選ん
できた。今や新しい艦は高速空母に合わせるのだから、疑い
なく高速が必要なはずだったのである。形勢をアメリカ側に
不利に傾けることのできる絶好の機会がガダルカナルにおい
て訪れたとき、大和の最大速力が五ノット不足していたがた
めに、海軍の司令部はより高速だがより脆弱な代わりの艦を
投入した。大和ではなく、装甲の薄い巡洋戦艦、比叡と霧島
が血みどろの夜戦となった第三次ソロモン海戦に投入され、
両艦共たちまちにして沈没した。
まだ名前のない超大戦艦の計画は、機関について長いこと苦
労した末、ようやく一九三六年七月にでき上がったようにみ
えた。設計者たちはタービンとディーゼルを組み合わせ、そ
れぞれが二本の推進軸を回すという珍しい方式を推した。
ディーゼルエンジンは燃料が経済的だから航続距離を長くで
きるという利点があり、戦闘状態になればタービンエンジン
がとって代わる。しかし二、三週間後、ディーゼルの設計に
根本的な欠陥が発見され、全面的な再検討が指示された。
機械室(機関室)は八インチの装甲版の下にがっちりと封じ込
められるから、大がかりな換装工事はできない。そのため、
信頼性のある従来のタービンに代えることに決まった。建造
用の青写真は一九三七年三月に提出されたが、三年間で二三
回目の青写真だった。そしてただちに承認され、呉で工事が
始まった。
続きます。
驚くべきものだった。満載で七万一六九五トン、三連装の主
砲塔を搭載するが、その重量は各二七三〇トンで駆逐艦の排
水量と同じである。一八・一インチの主砲は一・五トンの砲
弾を発射し、射程は二二・五マイルである。発射時の爆風が
猛烈なのでボートを露天甲板に置くことはできない(後部の航
空機格納庫に観測機といっしょに格納された)。露出した、
配置の対空射撃員は主砲の一斉射撃ごとにやけどしそうにな
り、服をもがれそうになり倒れて気絶しそうになるのだった
。三連装の六・一インチの副砲一二門は本来最上(もがみ)級
軽巡に設計されたものだった。戦争中の改装で両舷の二つの
砲塔は撤去され、代わりに対水上対空両用の五インチ砲二四
門が片舷に連装六基ずつ設置された。最後の防空は対空機銃
の仕事である。フランスのホッチキス型を使った射撃速度の
遅い機銃で、命中効果は不十分だった。九八門でその大部分
は三連装だった。
装甲はそれまで軍艦に装置されたものの中で最も重かった。
砲郭を作っているが、これは艦の重要部を囲った一種の装甲
の箱である。機械室と缶室が一二ある中部区画の上は、高度
一万フィートで投下した二五〇〇ポンドの徹甲爆弾に耐える
よう設計された八インチの装甲で覆われている。一六インチ
半の装甲板が外舷に沿って張られ、下に行くほど薄くなって
水線下二〇フィートでは三・九インチとなる。さらに後部の
舵機室の周りにも装甲が張られ、予備の舵が追加された。煙
突口の周りを穴のあいた一五インチの鋼板が守っており煙突
そのものは爆弾の方向をそらすように設計された二インチの
装甲で巻いてある。水線下の爆発に対して防護しているのは
弾庫の下の三重底である。極めて高品質の鋼板が大量に必要
だったので、日本の鋼板産業を拡張するため、一〇〇〇万ド
ルという当時としてはかなり大きな経費が使われた。
続きます。
船体は一一四七の水密区画に分かれていて、その大部分は、
装甲甲板の下にあった。戦闘中は浸水防止のために扉は閉鎖
される………乗員が中に閉じ込められる危険があってもである
。艦首から艦尾まで二重隔壁が艦を区分している。これは、
英国から取り入れた不適切な設計方式だった。設計者たちは
また、複雑なバルブの配列方式をあみ出した。水線に沿った
装甲帯に重なっているカラの魚雷用空所にポンプで注水する
。空所の各区画は反対舷への艦の傾斜を修正するのに使う。
たとえば、もし魚雷が連続して命中し、左舷に傾いたならば
右舷の対応する区画に注水するのである。これはなかなか、
巧妙なアイディアだった………少なくとも紙の上では。
最も実際的な新機軸は、船体に対する水の抵抗を減らすため
のバルバスバウ(球状艦首)だった。東京の海軍技術研究所に
ある日本最大の試験槽で何度もモデル実験がおこなわれた。
その結果に基づいた設計によって、水の抵抗は八・二パーセ
ント減少し、航走試験で二七・四六ノットの成績をおさめた
のである。そのお蔭で、経済巡航速力一六ノットで七二〇〇
マイルの航続距離を持つことができた。戦後日本で建造され
たスーパータンカーについては、これと同じバルバスバウと
することが義務的となったのだった。
巨大艦の最初の三隻の建造は、ほぼ一年間隔で始まった。
大和は一九三七年に呉で起工され、姉妹艦武蔵は翌年長崎の
三菱造船所で、最後の信濃は横須賀の海軍工場で起工された
。秘密は保持され、大和は特別に造られた乾ドックで建造さ
れたが、竹製のむしろで目隠しされた。そしてパールハーバ
ー攻撃の数日後にファンファーレもなしで就役した。武蔵は
在来の、しかし著しく強化された造船台で建造されたが、ロ
ープ製の網のすだれで目隠しされていた。あまりにも大きな
すだれだったので、日本の漁師たちは何ヶ月もの間、ロープ
が足りないと不平を言ったほどである。警察は進水の二十四
時間前には長崎の街の通りから住民を閉め出し、巨大な船体
が重々しく海にすべり込んで小さな津波を起こしたとき、一
目見ようとうろついていた連中を逮捕した。軍楽隊も旗もな
く、当然ながら日本の新聞には報道されなかった。
続きます。
二隻は一一一号艦と七九七号艦だったが、ついに計画書の中
にとどまったまま終わった。一九四二年の建艦計画で計画さ
れた戦艦(大和より大きい)、七九八号艦と七九九号艦の二隻
も、大和の縮小型でより高速のB65級巡洋戦艦、七九六号
艦の二隻と共に中止された。このころにはこうした金のかか
る白い巨象よりも、空母の方がもっと切実に必要とされるよ
うになっていたのである。大和が就役する前に、パールハー
バーに対する航空攻撃が戦艦を陳腐化してしまったことは、
海軍の歴史上最も苦々しい皮肉の一つだった。日本の空母機
がアメリカ太平洋艦隊の戦艦群を壊滅させたことは、海戦の
方向を変えてしまったのであり、再び元には戻せなかった。
それからは空母が海を制したのである。
戦艦が権威を失墜したことは、半分建造された信濃を空母に
改造するという決定によって最終的に確認された。信濃の船
体は、日本海軍がミッドウェーにおける決定的な空母戦に、
敗北したとき、露天甲板まででき上がっていた。そして設計
者たちが改造計画について論争している間に、貴重な時間が
失われていった。最後の妥協から生まれたのは実質的には、
空母支援艦だった。七万七五五トンの混血児は、装甲甲板や
大量の燃料弾薬の貯蔵庫を誇ったが、搭載する航空機は自衛
のための四七機にすぎなかったのである。
この不適切な計画の産物は、海上では二十四時間とは生き残
れなかった。艤装(ぎそう)工事を続けるため、建造された、
横須賀のドックから呉に向けて航海中の、一九四四年十一月
二十九日、信濃はアメリカ潜水艦アーチャー・フィッシュの
待ち伏せ攻撃を受けた。艦長は暗夜をジグザグ航行する大き
な目標に魚雷六発を発射し、次いで反撃を避けるために潜航
した。彼が耳にしたのはすざまじい爆発音だけだったが、重
要な、しかし識別できなかった目標の撃沈を主張するのに十
分だった。目標が正確に何であったかは戦後まで分からなか
った。戦後になって初めて、巨大な空母の重要な搭載物件は
神風飛行爆弾「桜花」五〇機だったことが判明したのである
。
東京でのその後の調査の結論は、あと知恵だが信濃は決して
出港させるべきではなかったということだった。工員たちは
まだ艦内で働いており、防水扉の多くは閉鎖することができ
なかった。訓練不足の応急員たちは、右舷からの大量の浸水
に対処できなかった。信濃は七時間ものたうったあと、ゆっ
くりと転覆した。これが当初の設計の実験にはほとんどなら
なかったという点で、関係者の意見は一致した。信濃は無能
力の犠牲になったと思われたのである。しかし一つだけ確か
なことがあった。それは、正確に照準された魚雷は、海上に
あるすべての物に対する最大の脅威としてあり続けるという
ことだった。
続きます。
「列国海軍の対立」なる章から大変印象的な部分をピック
アップさせて頂きたいと思います。
第一次世界大戦後にのし上がってきた日本は、主要な海軍国
になることを決めた。すでに日本は一九〇五年の帝政ロシア
に対する勝利によって、アジアの一強国として認められるだ
けの地位を築いていた。カイゼルに対する最小限の戦争によ
って、日本はドイツ領だった太平洋の島々の一部を手に入れ
本土から遠く離れた海軍基地として要塞化した。もっと不吉
なことは、分割され、しかも無防備な中国において、日本が
フリーハンドを与えられたことだった。ヨーロッパ諸国は疲
れ果てていたから、荒廃した中国帝国の領土に侵蝕を続ける
ことはできなかった。伝統的な敵、ロシアは革命によって大
混乱を生じていた。アメリカはジャズや株式ブームや禁酒法
の方に、もっと心を奪われているように見えた。日本はアジ
ア大陸の巨大な隣国における力の真空を利用できた。軍国主
義者たちは「外国の搾取」から中国を「解放」する聖なる、
使命について誇らしげにしゃべり始めたが、彼らの利他主義
を中国が評価しなかったので、残忍なやり方で対応した。
戦争が一九一八年に終わったとき、すべての大国は野心的で
金のかかる建艦計画に熱中していた。日本の五つの主要な工
敞、造船所では大艦隊を建造中だった。アメリカの一隻に対
して一隻を保有するという企図から、加賀級戦艦八隻と天城
級巡洋艦八隻が船台上にあるか、あるいは発注ずみだった。
アメリカはウィルソン大統領の一九一六年海軍建艦計画の下
で、より強力な主力艦一六隻を発注しており、緊要な船団護
衛艦を建造するために一時中断されたものの休戦後に再開さ
れ、世界最大の海軍力になるという脅威を与えていた。
これは英国にとっては呪わしいことだった。海上における、
優越は、英国の国家的遺産の中で最も誇りとするものである
。だが英国はもはや建艦競争に加わることができなかった。
最近の、つまり戦争直前の建艦競争は随分と金がかかった。
英国は今やビクトリア王朝時代の遺産をほとんど食いつぶし
てしまったのだ。英海軍は何回かにわたり大幅に削減される
ことになるが、その第一回は一九二四年であり、それによっ
て百五十年に及んだ大英帝国の支配は終わりを告げるのであ
る。だが、まず潜在的なライバルたちを説得して同様に削減
させなければならない。ライバルとは主としてアメリカと日
本を意味した。
一九二二年、勝利をおさめた連合国は、ワシントンにおいて
英国が提唱した艦隊の削減に同意した。このことが建艦競争
を回避させたことは疑いない。のちにアメリカ海軍のロビイ
ストたちは、口先のうまい英国の政治家がアメリカ政府を説
得して、多数の艦をスクラップにさせたのだと非難した。英
国、日本、フランス、イタリー、そしてとりわけアメリカは
海軍が保有する主力艦の数を大きく削減した。アメリカで、
建造中だった巡洋戦艦六隻と戦艦七隻が、すでに進水ずみの
戦艦二隻と共に解体工場に送られた。
続きます。
当時では天文学的な数字の価値がある、世界で最も近代的な
何隻かの軍艦が、たった一度の気前のいい決定のために抹消
されてしまったのである。適切な判断、というよりは、幸運
によって巡洋戦艦二隻の船体が残され、のちにアメリカ艦隊
の最初の空母であるサラトガとレキシントンに造り直される
ことになる。正直なところ、非現実的な考えを持ったハーデ
ィング政権は、英国の説得をほとんど必要としなかった。
アメリカが「戦争を終わらすための戦争」に介入したことへ
の国内の皮肉な反応は、平和主義と孤立主義をはぐくみつつ
あったのである。その上ビリー・ミッチェル准将のような、
基地航空力の熱狂的信奉者に尻押しされ、海軍はもはや不必
要なのではないかという疑問をいだく者さえいた。
困惑したアメリカの提督たちは、競争相手である英国が行っ
た削減の規模も意義も評価しなかった。英国は艦艇合計六五
七隻、約一五〇万トンをスクラップにしたのである。フォー
ス湾においてドイツ大洋艦隊の降伏を尊大な態度で受け入れ
てから四年後、ロンドンの政治家たちは、英国の世界の海に
対する支配を保証してきた一つの教訓を放棄した。ネルソン
時代からの政策は、他の二国の海軍を合わせたものに匹敵す
るだけの大海軍を維持することによって守られてきたのだが
この数的な優勢もペンのひと走りで消えてしまったのだ。
かつては帝国の存在に必須だと考えられていた全面的な優越
性を、英国が再び持つことはないであろう。多くのアメリカ
人が半ば無意識的に当然だと思っていた、英国の全世界的シ
ーパワーという楯もまたなくなってしまったのである。
好戦的な日本人たちは、ワシントン条約を国家に対する侮辱
であると非難した。「艦隊」派の強硬なリーダーである加藤
寛治中将は帰国すると、声を大にして抗議した。彼は頭の熱
くなった青年士官や憤慨している民間人の中に、喜んで話を
聞いてくれる連中をすぐに見付けた。日本はいわゆる八八八
艦隊と呼ばれる海軍力を整備していた。艦齢八年を越えない
戦艦八隻と巡洋戦艦八隻を中心とする艦隊である。しかし一
九二一年、日本代表がワシントンに着いたとき、海軍の予算
は国家予算の三分の一を占めていた。ハト派の加藤友三郎海
軍大臣は兵力削減が避けられないことを認識しており、日本
の戦艦と空母を米英のそれの六〇パーセントに制限すること
に同意した。五・五・三の比率であり、これによって米英は
それぞれ主力艦約五〇万トンが残り、一方日本のそれは三〇
万トンをわずかに越えることになった。好戦主義者たちは、
政府の経済論議に心を動かされなかった。彼らからみると、
日本は二等国として扱われているのである。日本帝国海軍が
今や太平洋において潜在的ライバルである二つの国を凌駕し
たという事実は都合よく無視された。ワシントンでかち得た
譲歩についても同じだった。アメリカはハワイより西の基地
………明らかにグアムとフィリピン………を要塞化しないことに
うまく同意させられてしまった。しかし日本はトラック、ウ
ルシーその他一連の諸島のどこであれ、施設の拡充は自由と
されたのであり、そこから広く太平洋に向けてシーパワーを
拡大したのである。アメリカはこの譲歩のために第二次世界
大戦では高い代償を支払った。日本人からみて同様に重要だ
ったのは、ワシントン会議の決定が主力艦のトン数のみに、
制限を課したことだった。巡洋艦と駆逐艦は適用外だったの
である。日本の工敞、造船所はこれら小型艦の建造に努力を
集中し、軍艦の設計については短期間の経験しか持たない国
としては、すばらしく革新的であることを証明した。たとえ
ば吹雪級駆逐艦は二〇年代末期のあらゆるライバルをしのい
だし、古鷹級巡洋艦は太平洋戦争の中期に至るまで、このク
ラスの軍艦におけるリードを日本に与えた。
続きます。
一九三〇年、英国とアメリカは、条約による制限をすべての
軍艦に広げることに成功した。今度はロンドンで開催された
海軍軍縮会議は、日本全国にまたがる国家主義的な怒りに火
をつけた。しかし日本代表団は今度も列国と行動を共にする
ために合意した。妥協のための大騒ぎはこれが最後になった
。経済不況、好戦的な煽動、そして高まる排外思想は、国民
を非合理的なヒステリーへと駆り立てたが、それがついには
日本を災厄へと推し進めるのである。回顧すると一九三一年
における満州への侵略は、第二次大戦の幕開けとなる小ぜり
合いだった。一九三七年七月の蘆溝橋事件ののち、中国全部
を手中にしようという日本の決定は、アメリカの怒りに満ち
た抗議を招いた。ワシントンの口頭による不満の表明が無視
されると、ルーズベルト政権は経済制裁を立案し始めた。日
本とアメリカはしっかりと衝突コースに乗ったのである。
日本帝国海軍はアメリカとの戦争は好まなかった。
非常事態計画は何年も前からあったが、多くの上級士官にと
ってアメリカとの戦争はバカげたものだった。しかし国民の
ムードはそれと反対だった。ヒットラーの台頭は好戦主義者
の主張を強化した。日本はドイツ、イタリーとの三国同盟に
加盟した。そしてナチスの電撃作戦がヨーロッパを襲い、オ
ランダ、ベルギー、フランスを席巻して、イギリスを包囲し
たとき、石油とゴムの豊富な東南アジアの植民地への道が開
けた。アメリカ人がヨーロッパの植民地主義を守るために、
真剣に戦うとは予想しなかったのである。
深い認識を持つ日本海軍の士官が好戦主義者たちを制止でき
なかったという悲劇的な事実は、今日では説明がつかないよ
うに思われる。しかし原因は国家制度と日本人の性格の奥深
くに存在した。海軍は次第に分裂し、上級士官は明らかに愛
国的なコンセンサスに反対することをためらった。国家主義
的好戦者たちによる報復の恐れがあったことに疑問の余地は
ない。とりわけ反乱将校たちが一時的に東京を制圧し、帝国
の拡張に反対していると疑われた指導的人物を殺害した、
一九三六年の二・二六事件のあとはそうだった。海軍の失敗
は何よりも日和見主義に帰せられる。最も洗練された提督た
ちも、ばくち打ちのような本能によってひとたび苦境から逃
れられると信ずるや否や、まるでタビネズミのように暴走に
加わったのである。
続きます。
誤算したのは日本人だけではなかった。日本人自身が西側の
敵対者たちから過小評価されていたのである。零戦は白人の
自尊心にとって気が動転するような衝撃だったし、帝国海軍
もそうだった。帝国海軍の戦前における乳児期のトラブルは
平均以上のものがあった。何隻かの新造艦は兵器を積みすぎ
たし、改造された戦艦上に積み上げられたパゴダ型のしょう
楼はトップヘビーという印象を与えた。一九三四年三月十二
日、佐世保海軍基地の港外において、新しい水雷艇が荒天の
中で転覆したが、安定性を欠いていたことは疑いなかった。
翌年には台風が第四艦隊を襲い、二隻の新しい大型駆逐艦が
二つに折れた。造船家はまだ船体溶接の技術をものにしてお
らず、またディーゼル・エンジンは信頼性に乏しいことがわ
かった。西側の一部の海軍士官は、日本の軍艦は容易に転覆
破壊、あるいは二つに折れるという性急な結論を出したい気
持ちにかられたし、西側の国民もそれを信ずる傾向があった
。日本人はジョークの種になったが、これくらい人を誤らす
ものはなかった。一九四一年までには、海軍における設計上
の欠陥の多くが是正されていた。中国沿岸での五年の経験は
すぐれた艦隊を作り上げたのである。
日本帝国海軍は速力と火力を選択した。酸素を動力とする直
径二四インチの魚雷、有名なロングランスを開発したが三六
ノットで二四・五マイルのかなたの目標に、炸薬量二二五ポ
ンドの頭部を送達できた。アメリカ人が使えた最良の魚雷は
信頼性の乏しい二一インチのマーク16であり、炸薬量は、
一三五ポンドで射程は五マイル以下だった。ジャワ海での初
の艦隊戦闘において連合軍の艦長たちは、明らかに不可能な
距離で魚雷を受けたとき、機雷原に乗り入れたと思ったので
ある。日本人は潜在的により強力な敵と戦う場合の不利を補
うため、夜戦に力を入れ………一九〇五年のロシアとの戦いで
十分に得た教訓だった………またパールハーバーにおけるよう
に、可能な場合にはいつでも奇襲に頼った。ルーズベルトは
「不名誉な日」と呼んだが、先制攻撃がこれほど恐るべき効
果をおさめたことはかつてなかったのである。
帝国海軍は、基本的には第一次大戦における海軍力の大規模
な対決だったジュトランド沖海戦をもう一度戦うための水上
艦隊にとどまっていた。同海戦は強力な英独両戦艦艦隊の間
の教科書的な戦闘だったが、じりじりさせるほど勝負がつか
ずに終わっている。提督たちは大海戦を戦い「午後」には勝
つことを、いまだに夢見ていた。太平洋戦争初期の空母によ
る成功と、基地雷撃機によるマレー沖での英国主力艦プリン
ス・オブ・ウェールズとレパルスの撃沈にもかかわらず日本
人は戦艦が最後の勝敗を決定するという信念に固執していた
。それがナンセンスだということが、あまりにもはっきりし
たときですらそうだった。海洋についてのアメリカの予言者
アルフレッド・マハン提督の教義と、「ジャッキー」フィッ
シャー卿とアール・ビーティ元師の攻撃的理論にのめり込ん
だ日本の戦略家たちは、海洋の完全な支配をもたらすような
古典的「決定的」会戦を一貫して求めたのだった。
一世代後の映画館の常連になった日本人は、サムライが刀の
さやを勇ましく払い、その時代の爆発的な一瞬の動きですべ
てを片付けてしまう場面で同じような単純な幻想をいだいた
。一九〇五年に東郷平八郎大将が対馬海峡において、一撃の
下にツァーの艦隊を殲滅(せんめつ)したとき、ロシアは映画
の中のサムライのやり方で敗北させられたといわれたのだっ
た。だが一九四一年の日本は、ちがう敵と対面していたので
ある。
続きます。
近代戦を変えることになる二つの兵器が、その効力を十分に
発揮する前に終わった。一つは戦車、もう一つは航空機であ
る。日本は将来の同盟国となるドイツとちがって、戦車をあ
まり必要としなかったが、航空機は強力な新兵器とみて熱心
に取り組んだ。
三〇年代初期における東京での標準的な兵棋演習は、西太平
洋のマリアナ諸島付近の海域での対決をねらったもので、防
御にあたる日本艦隊を基地攻撃機が支援するというものだっ
た。九六式93M2双発中型爆撃機(のちに連合軍はネルと
読んだ)がその使命のために開発された。当時のどの空母搭
戴戦闘機よりも速力が速く、魚雷を積んだこの注目すべき、
航空機は、共同演習において駆逐艦の全兵力と同じ価値があ
ることを示した。日本海軍の多くの搭乗員は、基地航空機こ
そが回答であると次第に確信するようになった。一部の者は
空母はすべてスクラップにし、「不沈」の島々にある航空基
地のみに依存せよとまで主張した。彼らのやきもちやきの議
論は、一九四一年十二月十日、雷装したそろそろ旧式に近い
ネルが、占領した仏領インドシナの基地を飛び立ち、マレー
沖で英国の主力艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを
撃沈したとき、正当化されたようにみえた。しかしそのとき
までに、もっと大きな教訓が中国で得られていたのである。
日本は挑発もされないのに中国に侵攻したが、これを戦争と
呼ばなかった………米国ですらそうだった。この高価なものに
ついた紛争は「シナ事変」と呼ばれたのであり、このため、
アメリカは中立意識を持ちながら、日中の双方に武器を供給
できた。宣戦布告をされた戦争だったならば、米議会による
交戦国双方への武器売却禁止措置を招いたであろう………そし
てまた日本の戦争用の機械を動かす石油その他の戦略的原材
料についてもそうだったであろう。
戦前の日本の軍用機にはニックネームはつけられなかったし
アメリカでも同様だった。このアイデアは当たったが、始め
たのは英国人である。日本は実用機にした年の最後の二つの
数字をもって、その機の型式とした。国家主義的風潮のため
に、西暦より六六〇年前の神話的な神武天皇にさかのぼる、
日本帝国の暦を使わなければならなかったから、二六〇〇年
(一九四〇)に出現した零戦は〇〇式艦上戦闘機と名づけられ
た。三菱A6M2零戦(と優秀なパイロット)は、当初連合軍
が投入したどの戦闘機よりもすぐれていた。
続きます。
基本的には日本陸軍の戦いであり、単純な掃討作戦だったは
ずが泥沼にはまり込んでしまった。海軍は本格的には関与し
ていなかったのだが、莫大な海軍予算を正当化するためには
若干の支援作戦を実践することが要求された。侵攻軍支援の
ための沿岸地域の爆撃は、内陸部の目標にする長距離爆撃の
ような派手なドラマ性を欠いていた。そこで海軍は航空力を
陸地に投入する独自の能力を開発しようとした。日本人は、
アメリカ人と同様、空母について何年も実験を重ねており、
空母は太平洋上の戦艦のための貴重な偵察兵力だとみていた
が、中国は日本に対し予期しなかった戦術的選択肢を与えた
。空母は長大な中国沿岸に沿った爆撃のために便利な移動飛
行場を提供したのである。しかし明らかに解決できない問題
が残った。基地航空機の航続距離はいかなる空母機よりも長
いのである。エリートである海軍の搭乗員は、速力の速いネ
ルを台湾や日本南部の飛行場から遠く南京や南昌のような内
陸部の目標まで飛ばした。しかし護衛戦闘機なしだったため
中国軍により甚大な損害を受けて撃退させられた。そしてそ
のあとで日本は零戦を開発したのである。
海上における航空力の価値にはまだ疑問があった。爆撃機を
護衛して中国東部の上空を掃討するという、初期のエリート
である零戦隊の業績も、戦艦が最終兵器だという海軍軍令部
の信念をゆるがすことはできなかった。どの配置にいる提督
でも同じ信念を持っていた。彼らの近視眼的な保守主義を笑
うことはやさしい………ミサイルや原子力潜水艦の時代である
現在でも………が、英国のヘンリー八世がガレオン船に大きな
大砲を積んで以来、海戦の支配的兵力である戦艦に、すべて
の海軍が莫大な投資をしたことを思い出すならば、笑うこと
はできないのである。
日本で最も偉大な戦争の英雄になった山本五十六大将は例外
だった。彼は大艦の伝統の中で訓練されはしたが、航空機が
大砲の射程を著しく延伸するということを認識していた。艦
砲の射程を数百マイルに延ばす手段なのだ。彼は広い支持を
かちとろうとしたが困難だった。海軍の戦術は何世紀もの間
ほとんど変わっていない。大艦は依然として戦艦列を組んで
射撃する。明らかに、より発達した砲と砲弾によって射撃す
るのだが、お互いが視界外に出ることはまれである。この、
小柄な提督は霞ヶ浦航空隊で勤務した際、日本海軍航空の先
駆者たちとチームを組んだ。のちに有名な神風の生みの親と
なる大西瀧治郎中将もその一人である。
続きます。
日本の限られた資源の多くを、大和のような白象に注ぎ込む
のを上司たちに思いとどまらせようという決意で始めた運動
は失敗した。しかし彼らは、早くも一九三八年には最初の、
高速空母艦隊を編成するという思い切った前進を遂げること
ができた。だが中国における経験のお蔭で、正統主義がいま
だに彼らの考えに影を落としていた。なぜならば空母は基本
的には対地艦砲射撃のための兵器にとどまっていたからであ
る。パールハーバー攻撃は、戦争初期における陸上目標に対
する目のさめるような一連の攻撃の最初のものにすぎなかっ
た。濠州のダーウィン港、ジャワのスラバヤ港、インド洋の
ビスハカパトム港やコロンボ港が第一航空艦隊の最初の、そ
して最後の戦果に含まれていた。
一九四二年六月四日、日本軍はミッドウェー島のアメリカ軍
施設の爆撃に忙しかったが、レイモンド・スプルアンスの小
規模な空母部隊が日本空母部隊の主力を、交代の利かない、
搭乗員たちといっしょに沈め、戦艦七隻を含む日本海軍の全
支援兵力は、不名誉な退却を強いられて本土に逃げ帰った。
山本大将は旗艦大和の長官室にいた。ミッドウェー作戦はこ
の戦艦にとって不運な最初の行動となり、また山本大将の経
歴の中でも致命的な曲がり角になった。カリスマ性を持つ小
柄な指揮官で、賭けごとを好み、計画的な戦術家ではあった
が、戦略家としては悲劇的なまでに不向きであった。パール
ハーバーに対する彼の思い切った攻撃は、史上最も大胆な攻
勢作戦の口火となった。日本は三ヶ月の間にアメリカの半分
に相当する領土を侵略し、ごくわずかな抵抗を排除して勝利
をおさめた。残った唯一の敵対者である英国は、すでに大西
洋と地中海において生死をかけて戦っていた。日本軍は昔の
先生だった英国に侮辱を与えるのに熱心だったために………結
局のところ日本帝国海軍は英国海軍をモデルにしてそれに近
いものに作られていた………アメリカ軍に対する攻撃を強化す
べきであったにもかかわらず、インド洋のベンガル湾におい
て英国に対する一時的な優位を得ようとして貴重な時間を浪
費してしまった。日本軍が英極東東艦隊の老朽残存艦を追い
かけ、アフリカ東岸に向けて必死の逃走を強いている間に、
アメリカ海軍はミッドウェーにおける対決の準備をしていた
のである。
続きます。
ミッドウェーの敗戦後、自信を失ったように見えた。彼の戦
術は臆病なものになろうとしていた。ガダルカナルの戦いが
始まったとき、彼は圧倒的兵力で反撃したり戦い抜いたりす
ることをためらった。艦艇は小出しに投入された。歴戦の乗
員は戦闘において経験不足のアメリカの乗員に対して勝利を
おさめた。しかし定義はしにくいが「決定的な」勝利はおさ
めることはできなかったのである。搭乗員も同じように無駄
に消耗されたが、山本は海軍のバランスを回復することはで
きなかった。空母が追加発注され、戦艦の建造は中止された
。しかし第一航空艦隊再建のために、強力で大規模な訓練計
画を進めようという努力が、中途半端な熱心さでなされたに
とどまった。
ソロモンにおけるアメリカ軍の攻勢によって、海軍は防空の
責任を持たされた………日本陸軍のさして特色のない航空隊は
中国からビルマに至る地上作戦の支援にかかりきりだった。
そして緊要な交代搭乗員の訓練に当たるべきだったミッドウ
ェー生き残りの搭乗員は、長い消耗戦の中で次第に、そして
英雄的に死んでいった。山本自身もまた一九四三年四月十八
日、カヒリ上空において待ち伏せ攻撃によって死んだ。主力
である日本の戦艦隊は上空援護を失ってますます無力化して
いった。アメリカの空母部隊は拡張を続けて史上最強の海軍
兵器となり、アメリカが太平洋全域を支配するまでの間危険
にさらしれることなく地上海上の目標を攻撃したのである。
神風部隊司令部・鹿屋航空基地
死ぬにはすばらしい日だ。軍楽隊の鼓手が申告したとき、だ
れかがいたましそうに敬虔とも言える態度でそう言った。
鹿屋海軍軍楽隊の隊員である二人は正確に一三〇〇、陽光の
もれる桜の木陰の所定の位置についた。作業員が長いテーブ
ルとカラのコップと煎餅を用意しているとき、桜の花びらが
二人の肩に止まった。ピシッとのりのきいた戦闘服を着て長
剣を持ち、略綬と真っ白な木綿の手袋を付けた宇垣と草鹿が
到着した。両提督とも疲労し緊張しているように見える。彼
らにとっても長い眠れない夜だったのだ。
死を運命づけられた搭乗員たちは夜明け前から、整備員が、
隠蔽されている乗機をチェックするのを手伝ったにもかかわ
らず、比較的生き生きとして自信に満ちているようにみえた
。エンジンは調整され、爆弾は搭載されている。あと残って
いるのは別れをつげることだけだ。
だれもが革の飛行帽の上に白鉢巻きをしている。搭乗員が真
似をしているサムライは何世紀か前に戦場で汗よけの手拭い
を付けていた。片側に刃のついた刀で互いに斬り合うとき、
眉の汗をふくために一休みしないですむようにだった。彼ら
は襟巻きをつけ、からだには香水をふったから、搭乗員もそ
うしている。多くの者は昔の兵士のように赤いお守りを持っ
ているが、これは母や姉妹が故郷の街角に立ち、通行人に対
し未来の英雄のために祈りを込めて一針縫うよう依頼して作
った、縫い目が千ある腹巻きである。神に幸運や無事の帰還
を願うのではなく、若者が天皇のための攻撃に成功するのを
助けてほしいと願うものだった。
勲章はもらえないだろう。日本は開戦以来、生きている軍人
には勲章を与えていない。神風パイロットが期待できる最高
のものは、死後進級し、東京にある靖国神社にまつられてい
る英霊に伍して、栄誉ある地位を与えられることである。天
皇すら靖国神社では英霊に頭を下げるのだ。
最初の出撃は一三二〇と予定されている。下令するのは長官
宇垣纏(まとめ)中将である。彼は単調な低い声で訓示したの
で、搭乗員は聞きもらすまいとして上体をそっと前に傾けた
。彼は使命の重大さを強調した。彼らはアメリカの海軍力に
大打撃を与え、沖縄包囲を解かせるための十次にわたる攻撃
の先陣である。この朝始まる攻撃は四月七日も、さらにこれ
から二ヶ月の間、間隔をおいてアメリカ軍を壊滅するまで続
けられる、と将官は言った。この使命のため二〇〇〇機が、
集結しつつあり、うち四分の三が神風攻撃、残りが護衛であ
る。もっと多くなるはずだったが、最近のアメリカ空母部隊
の空襲によって多数の航空機が地上で破壊された、と彼は詫
びるように説明した。
「この空母のことを忘れてはならない」と宇垣は言った。
「諸君の主たる攻撃目標である。熱心なあまり惑わされては
ならない。最初に発見したフネを攻撃するようなことがあっ
てはならないのである。敵艦は大型、小型たくさんいる。他
の航空基地から出撃した搭乗員は戦艦、輸送艦、電探警戒艦
を攻撃することになっている。鹿屋から出撃する諸君は日本
海軍の生存にとって最大の脅威である目標を撃滅する栄誉を
与えられた。諸君の尊い使命に神の加護があらんことを祈る
」
中将が訓示している間に第五航空艦隊先任参謀、宮崎隆大佐
がテーブルのところにきて、コップに水を注いだ。かかる、
厳粛な場面に酒は似つかわしくない。宇垣、草鹿、そして、
参謀たちは、搭乗員と向かい合ってコップを手にした。
「私もあとから続く」と宇垣は言った。
続きます。
書き込みしましたが、使用機械が故障を発生したようです。
可能な限り、改めますので宜しくお願いいたします。