昭和美貌録 (2)

ピーター・W・タウンゼント英国空軍大佐
1914 ~ 1995
第二次世界大戦中の1940年夏、当時世界最強のナチス・ドイツ
空軍によるイギリス襲撃の際、軍事面での劣勢をはね返して、英国
が勝利した「英国本土決戦」( 通称 バトル・オブ・ブリテン )
愛機ハリケーンを駆っての祖国防衛の活躍で「空の英雄」と称えら
れたピーター・タウンゼントを、英国王ジョージ6世は侍従武官に
任命します。それは世紀のロイヤルロマンスの開幕でもありました。
「エリザベスは私のほこり、マーガレットは私のよろこび」父国王
は語り、現英女王エリザベスの、4才下の妹マーガレットの美しい
蒼い瞳を、タウンゼントは「熱帯の海の色のようだ」と形容します。
一枚の写真はなんと人柄を雄弁に物語ることか。タウンゼント大佐
の乗馬は馬を支配するのではなく、ピタリと顔を寄せて対話の姿勢。
馬に語りかける大佐の声が聞こえるようで、人馬一体とはこのこと。
航空機の前でポーズをとる兵隊達の中で、ひとり膝をついて犬をあ
やしている大佐に「マーガレットの周囲に彼以上の男性はいない」
と、英タイムズ紙に書かれた大佐の人物像が偲ばれる思いがします。
才貌両全の大佐ひとすじのマーガレット王女は時に25才、大佐は
妻子持ちの16才上。王室はこの恋をひた隠しにしますが、やがて
国民の知るところとなりロマンの花は無残に手折られていくのです。
大衆紙ザ・ピープルは「王女と離婚歴のある男性との結婚などあり
得ない」との大見出しを掲げ、王女に王族としての自覚を迫ります。
王室、政府首脳、英国国教会、あげての大反対には抗しきれません。
「ピーター・タウンゼント大佐とは、結婚しないと決意したことを
ここにご報告します」 異例のマーガレット王女の声明文が、BBC
で放送され、二人はそれぞれ別の人と結婚して異なる道を歩みます。
その後の、王女の薬物依存の噂、奔放なスキャンダルは有名ですが
1995年、タウンゼント大佐の他界とほぼ同時期に王女は脳卒中
で倒れ車椅子の生活となり、2002年に大佐の後を追いました。
二人が時を過ごしたロンドンの、淡い色彩の化粧しっくいに、おお
われた、風雅なイギリス王室の公邸、クラレンスハウス宮殿の庭の
花々が、この哀しくも美しい物語を、今に伝えているかのようです。
タウンゼント大佐は戦後、英国から貰った勲章を全部オークション
にかけ戦争孤児の基金を作るなど慈善活動のかたわら、車で世界一
周した冒険家でもありジャーナリストとして著作を執筆出版します。
その題材は広くアジア地域に及び、1982年に来日。長崎の原爆
投下時、郵便配達中に16才で被爆した、谷口稜曄(スミテル)さん
を知り、彼のその終生変わらぬ核兵器廃絶の戦いに胸を打たれます。
当時の原爆投下という、軍事行為への怒りをリアルに描写し、被爆
した少年の悲痛な体験を、大人になるまで温かく見守り続ける、と
いうドキュメント小説「ナガサキの郵便配達」は85年早川書房刊。
谷口さんは爆心地から1,8キロの地点で被爆して、3年7カ月の
闘病生活のうち、1年9ヶ月はうつぶせのまま療養、赤くただれた
背中は、皮膚呼吸が出来ない為、晩年まで毎日削っていたそうです。
果敢な非核運動により、ノーベル平和賞候補にまでなった谷口さん
は、国連で核兵器禁止条約が採択された、2017年7月の翌8月
大佐の手紙を大切に日々眺めつつ、勇敢な戦士の生涯を閉じました。
仏語版も絶賛され、邦訳版は日本でも、国語の教科書に掲載されて
いましたが、時とともに絶版となり、戦争の傷跡の風化を危惧した
谷口さんのご意志と、周りの尽力で再発売の運びとなったそうです。
お問い合わせ先は一般社団法人「ナガサキの郵便配達制作プロジェ
クト」事務局。73回目の終戦記念日の本日、二十世紀のマスメデ
ィアを賑わせていた、温雅端正なピーター・W・タウンゼント大佐。
戦争の犠牲になった孤児達の事を案じ続け、祖国を守る為とはいえ
自分が撃墜したドイツ兵の家族にまで想いを馳せていた大佐の平和
への祈りを人種を越え、時空を越えて噛みしめてみたいと思います。